sabakubakubakuの日記

発達障害児を育てる発達障害ワーキングマザーの日記

元気が出ないのでゲシュタルト療法に行ってみた

最近知り合いから、田房永子さんの「母がしんどい」という毒母についての漫画をすすめられ、すっかりはまってしまった。うちの母はここまで無茶苦茶ではなかったが、実家が変な家で子どもの頃に嫌な思いをしていたのに、その悲しみや怒りに蓋をして大人になったため、いろいろキツいことになってしまっているという経験や心の軌跡に強い共感を覚えた。

何冊か続けて著書を読ませていただいた中で、「キレる私をやめたい」というタイトルの本に、ゲシュタルト療法というセラピーを受けて自分の中の怒りの感情に気づき、それを解放するプロセスを踏みはじめたというエピソードがあった。こんなにしんどい体験をしたトラウマからの回復に大きな効果があるのなら私もやってみたいと思い、早速田房さんが受けたセラピールームに予約を申し込むことにした。本で紹介され、予約も取りづらいだろうなと思っていたが、キャンセルが出たという事で運よく早々と初回の予約を取ることが出来た。これも何かの縁だったのかも知れない。

田房さんの本に出てきた話はグループセラピーだったが、私は個人で初回のセッションを90分間で受けてみた。今まで長年、他の臨床心理の先生とトラウマワークを行ってきたが、ゲシュタルト療法というセラピーは初めてだ。先に結論を書くと、来て良かったし、効果もあったと感じられた。忘れないうちに、どんな話をしたか、どんな気づきがあったかを、書き留めておきたいと思う。

セラピールームには、本と同じように、いろいろな色や素材のクッションのような座布団がたくさん置いてあった。私はまず、切り株の絵柄の座布団に座り、先生に今困っていることを説明した。カウンセリングの時はいつも、移動の電車の中で、今日相談したいこと、ワークで解消したいことをいろいろ考えたりするのだが、大抵はどんなトピックを選んでも、たいがい心の中の深くにある同じ感情にたどり着くので、あまりきっちり準備しても仕方がないと思っている。今回は話の切り出し口として、職場で大きな環境の変化が続き疲弊してしまったこと、同僚に対して冷たく心の無い対応をしてしまう自分を嫌悪しているといった事で困っていると、先生に相談することにした。

まず、先生が私の前に座布団を1枚起き、「そこに相手の同僚(女性)が座っているとイメージし、私が彼女に対して、最近職場で起きた諸々の事について、申し訳ないと思っている事を伝えて下さい」と私に言ったので、座布団に向かって、これこれこういった事をしてしまってすみませんでしたと、話しかけてみた。すると先生が、「では相手の同僚の座布団に座って、申し訳ないと言われてどう感じたかを表現してみてください」と促し、実際に座ってみると「申し訳ないと言われ、悲しい気持ちと、あなたの心の底には冷たい感情があって、それが私を傷つけていると感じる」という言葉が、彼女が本当にそう思っているかどうかはともかく、私の口から自然に出てきた。先生との対話で、私のコミュニケーションが率直ではないので、周囲の人を嫌な気持ちにさせているのではないか、そしてその原因は子どもの頃に自分の思ったことを安全に表現できなかったからではないかという流れにつながって行った。

そのようにしてやりとりやエピソード、見過ごしていた気持ちが次々に出てきて、その度に先生が、その気持ちや相手をイメージする座布団をどんどん床に広げていってくれた。最終的に、今の私、5歳の頃の膝を抱えて座り込んでいる私、私の父、母、母の母(祖母)の座布団が床に並び、それぞれの座布団に交互に座りながら、その時どんな気持ちだったか、その時の相手に何を伝えたいかといった事を、それぞれの立場で話し続けた。「私は傷ついて悲しかった」、「私(母)もつらかったし、どうして良いか分からなかった」、「他に対応方法を知らなかった」といったセリフが徐々に出てきて、田房さんの本に書いてあった通り、口調や言葉遣いもだんだん相手に似てくるのが感じられた。

最後に先生が、ピコピコハンマーを取りだし、父、母、祖母の座布団を殴って怒りをぶつけてみて下さいと勧めてくれた。私は何だか思い切りたたきつける気分にはなれず、一人一人に文句を言いながら、小さな子どもが握りこぶしで大人に向かって「お父さん、お母さん、おばあちゃんのバカバカ」と泣きじゃくりながらドンドン叩くような調子でひとしきり座布団をたたき、最後はその3枚の座布団を抱きかかえて声を上げて泣いてしまった。

何度か書いているが、私の父はどう考えても自閉スペクトラムで、母と祖母はADHD/ADDの傾向があった。それで家庭内のコミュニケーションに問題があったところに、やはり自閉スペクトラムの私が産まれ、育てにくさに悩まされたりしたんだろうと思う。また母はフルタイムで働いていたが、当時はまだワーキングマザーは少数派で、苦労も多かったに違いない。今の自分とよく似た状況だ。発達障害についての知識や理解が一般的ではなかった分、さらに辛かったかも知れない。

でもだからと言って、私が傷ついて我慢しなくてはいけないという事にはならないし、小さい頃の私は理解と愛情を示され、適切なケアを受ける権利があったはずだ。その事について、私は今も深く悲しんでいるし、怒りを覚えている。怒りたい気持ちと、両親、祖母に対する同情が入り混じって、訳の分からないことになってしまっているのだ。

セラピーの中で、そんな怒りや恨み、悲しみの感情を長い間抑圧してきてしまったので、圧縮されたタールのような、黒くてどろどろした嫌なものが胸の中に巣くってしまい、それが体の不調という形でサインを出しているという指摘を受けた。先生は、怒りの感情を吐き出せば、そのエネルギーはプラスの方向に流れるので、新しく建設的な行動を取れるようになると励ましてくれた。

今日のセッションでも、黒いタールの一部があたたかい澄んだエネルギーに変わるのを感じることが出来た様に思う。あと2、3回続ければ残りの部分も取れるでしょうという事だったので楽しみだ。何だか元気が出てきた気がする。

この本はすごい 「ちょっとしたことでうまくいく 発達障害の人が上手に働くための本」對馬陽一郎/翔泳社

発達障害系の本を見かけるとつい取りあえず買ってしまう。今回も何気なく購入した本だが、今まで読んだ大人の発達障害系の本の中で自分にどんぴしゃな内容だった。想定している就労の状況が今の仕事に近いからかも知れない。

私にとって、「そうそう、こういうことでつまづいてしまうんだよね」といった事柄について、発達障害の特性上(しかもASDADHDのそれぞれの視点から)、こういった理由でこうなってしまう、だからこういった対応が有効だ、という内容が満載だった。

まるで自分が観察されていたかの様な感じがした。という事はやっぱり、今日の××時から本社の偉い人とテレカンの予定があったのに、すっかり忘れてたといった信じられないことが起こるのは、私だけではないという事だ。良かった、私には仲間がいるし、たぶん対応方法もあるのだ。

今まで自分で経験的に編み出した技に近い記述もいくつかあり、有効性に確信が持てたし、原因も理解できた。例えば、スケジュール管理は月間見開きまたはバーティカルタイプというのは全く同感だ。私はちょっと高いけど「7つの習慣」のフランクリンプランナーで、この2種類(月間見開き+各日バーティカル)を併用している。使うごとに、この手帳はきっと、発達障害という自覚もなかったビジネスパーソンの先達が、いろいろな事を何とかしようと試行錯誤し続けた知恵の結晶なのではないかと感じている。

また、最近いちばん何とかしたいと思っている、優先順位の付け方がおかしい事のいついての理由と対策は目からウロコだった。「最新の要対応事項=最優先事項」と自動的に認識されてしまう、だから常に重要事項を自分にリマインドして優先順位をリフレッシュすればいい。なんと、そうだったのか。改めて自分の脳の仕組みの奥深さに驚くとともに、長年の先送り癖の改善に突破口が見えた思いだ。

大人の発達障害である自分をうまく飼いならす、という表現が本文の中にあったが、やっぱり、自分にどういう傾向があり、どういった理由でそういう事が起こり、どう対策を立てれば良いのかという事を理解するのが何よりだ。時間の感覚が信じられないほど弱いのも、あり得ないようなケアレスミスを連発してしまうのも、うんざりするほど無くし物が多いのも、発達障害の脳の特性なのだ。だからといって100%責任を回避できる訳ではないが、毎日毎日、内心自己嫌悪でいっぱいになりながら職場に行かなくても済むようにはなる。

もし10年前にこんな本があったら、今の自分のキャリアはどんなだっただろうかと思ってしまう。もっともっと生産性の高い人間になれていたかも知れない。悔やんでも仕方ないけど、息子が大人になって仕事をするようになる頃には、大人の発達障害への「バリアフリー」みたいな状況が進んでいると良いなと思うことにしよう。

困り感の解消に役立ったものリスト

困り感について思いついたことをつらつら書いてみましたが、自分なりに役立ったと思う事柄や考え方などを列挙してみようと思います。

 

「時間感覚」

・アナログ時計(時間が視覚的にわかる)

・タイムタイマー(残り時間が視覚的にわかる)

・週間カレンダー(横に数週間分並べると、予定が視覚的にわかる)

・1日1ページのスケジュール帳(先の予定を書き込んでおき、毎日確認すると、その日が来たら思い出すことが出来る。時々まるで秘書を雇っている様な気分になる位、役に立っています)

 

「自己肯定感の回復」

・カウンセリング(お金も時間もかかるけれど、この先何年も鬱々と生きるよりマシと思って通いました)

・書籍(セラピー、心理学、発達障害脳科学の本をいろいろ読み漁りました。知識をつけて理解することで、自分の心に何が起きたのか、なぜ自己肯定感が損なわれてしまったのかの理解が深まったと思います。)

・オラクルカード(元気が出ないときに手にとって眺めたり、カードのメッセージを読んでみたりしています。私が気に入っているシリーズにはネガティブな事が書かれていないので、寝る前に見ると落ち着く感じがします)

 ・心療内科(元気が出なさすぎる時は鬱の薬を飲んでベースラインを維持してやり過ごす)

 

「記憶力の補完」

・イメージを思い浮かべる(覚えておきたいことを脳内に映像で印象づける)

マインドマップ(キーワードを書き出して絵を描き込んだり色を付けると、頭の中でどこらへんに何を書いたかを何となく思い出せる)

・自分のワーキングメモリが小さいことを意識する(何事も覚えていることができない前提で行動する。メモを取るときは自分向けではなく背景を知らない他人に伝えるつもりで書く。)

 

「ややこしい仕事を片付ける」

マインドマップ(ブレイクダウンした内容を思いつくままに書けるので、箇条書きでto doリストを作るよりも楽。to doリストだと書き出した項目のウェイトがどれも同じに見えてしまうけれど、マインドマップだと書き込みの量や色やイラストで重み付けをしやすい)

・色分けする(複雑なExcelの表や書類は、見るべき部分や記入が必要な箇所などに色を付けると格段に作業が楽になる)

ADHDの薬(ストラテラを処方してもらって飲んでます。ADHDならではのひらめき力が鈍るのではと心配しましたが、あまり変わらない様に思います。)

・とりあえず取り掛かる(フリーズして何もしないよりははるかにマシなので、やりやすそうな所から手を付けると、そのうちエンジンがかかってくる)

 

「金銭感覚」

・定期預金と借越サービス(預金残高があるとお金があって使っても良い気がしてしまうので、自動積立で定期預金になるようにしてしまう。定期預金があるとその範囲で預金残高をマイナスにする事ができるので、敢えてマイナスのままにしておくと、お金がなくて使ってはいけない様に思えてちょうどいい。一種の借入なので利息がかかってしまうが、浪費防止の費用だと考えるようにしている。) 

困り感の続き3 ー 先延ばし癖がひどい

「いやな課題に取り組むのが苦痛で先延ばしにしてしまう」

「ぎりぎりにやっても何とかなると思っているので、事前に何かをする意欲が持てない」

 自閉傾向のある人の中には、記憶力がとても強かったり、見た物を写真の様に鮮明に覚えていることができる人が珍しくないと聞く。どうも、だんなも息子もそう言った傾向があるらしい。だんなは学生時代、教科書をじっと見ていると、文字をそのまま覚えることができて、他の人もそうだと思っていたらしい。

 私もそこまでではないけれど、強く印象に残っていることなら頭の中に静止画の様なものが思い浮かぶし、子どもの頃の出来事を思い出して、つい昨日のことに感じる事もよくある(自閉傾向がなくても大体皆そうなのかも知れないけど)。

 だから何なのかと言うと、自閉症スペクトラムがあると、過去の出来事のネガティブな印象をいつまでも忘れない(忘れたくてもそれが出来ない)ので、一度嫌な思いをしたことは二度とやろうとしないと言うのは本当なんだろうと思う。

 私は職場でよく、気の進まない仕事を先延ばししてしまい、後で締め切りに追われ、もっと早く、事前にやっておけば良かったのにと思う羽目になる事が、非常に多い。自分でもかなり理解に苦しむ程、先延ばし癖がひどいのだ。

 先延ばししてしまう仕事に共通点がないかと、特徴について考えてみたところ、私の場合は下記の様なことが思い浮かんだ。

1:何となく面倒くさそうに見える(初めての仕事)

2:ややこしくて取り掛かり方がイメージできない(初めての仕事)

3:以前やったときに、手間や時間がかかって嫌な思いをした(経験のある仕事)

4:以前やったときに、ぎりぎりに取り掛かって何とかなった(経験のある仕事)

 1と2は、視覚的な印象がネガティブだと気持ちのスイッチが入りにくいという事なのかも知れない。3と4は、過去の記憶が頭から離れずにこだわりに様なものになってしまい、行動がパターン化してしまった様に思える。いずれも、過去の嫌な記憶に引きずられてスタートダッシュが遅れたり、ぎりぎりにやって何とかなったと学習(誤学習?)している事が原因なのではないかと思う。

 私が過去のトラウマ体験を臨床心理の先生と癒すワークをした時はいつも、嫌だったことや傷ついた出来事を思い出して、それを好ましい体験のイメージと置き換える(父や母にこんな事を言われたが、そうではなくてこう言ってほしかったといった事を考え、その場面で言ってほしかったこと、してほしかったことが起きている場面を思い浮かべる)という事をした。他の人にこの方法が有効かどうかは分からないし、嫌な出来事の詳細を具体的に思い出さない方がトラウマワークがスムーズになるという話を聞いた様にも思う。ただ少なくとも、私にはこのワークは有効だったと思っている。

 それならばおそらく、過去一度やって嫌な思いをした仕事や、締め切り間際にやっつけ仕事をして何とかなってしまった記憶も、好ましい方法で仕事をして、快い結果が得られた体験のイメージと置き換えれば良いのではないだろうか。カウンセラーの助けを借りずに自分ひとりで出来るかどうか分からないけれど、今晩眠る前に瞑想してみようかと思う。

 また、複雑で面倒くさそうに見える仕事をやらなくてはならない時に、ぐずぐずしてしまいエンジンがかからない時は、取りあえずその仕事の中でも簡単そうに見えるところから手を着けてみるのも有効だと思っている。「闇雲に取り掛からずに、まず全体を把握して計画を立ててから始めるべき」と言う人もいるし、私の心というか脳のなかにもそう囁く何かが棲んでいる様な気もする。でも、見えないものについて考える力が弱い人間にとって、全体を把握するなどという事は、かなりハードルが高いし、考えてみたとしても見方が歪んでいて間違った結論になったり、えらく時間が掛かったりしてしまうのだ。時間をかけて間違った計画を立てる位なら、分かりやすい所から手を着けて、感触をつかみながら見通しを立てたって、悪くはないと思う。 

 

困り感の続き2 ー 人の話を口頭では理解しづらい

「口頭で言われた事をなかなか飲み込めない」

「人の話が覚えられない」

 これは、発達障害の特性なのか、私の得意不得意の谷なのか分からないけど、おそらくその両方だと思っている。

 私はよく、口頭だけの説明や指示がよく飲み込めず、同じ事を数回聞き返してしまう事がよくある。それを初めて意識したのは30歳前後の頃だったと思う。職場で「話がちゃんと通じているのに、ふざけて(意地悪で?)わざと何度も聞いているのかと思った」と言われ、分からなかったから聞いているだけなんだけどなあと素で思った覚えがある。

 子どもの頃はどうだったか思い出せないが、学校の一斉授業に全くついて行けなかったとか、教師の指示が理解できなかったといった記憶はないので、おそらく大きな問題はなかったんだと思う。もしくは、学校生活の範囲では起こる事のパターンがある程度決まっているから、それほど困った事は起きなかたのかも知れない。

 最近になって、自分が視覚優位者だったという事に気がついて、こういった事で悩んでいた理由がわかり、非常にすっきりした。人に何かを言われても理解できず、この人は阿呆なんじゃなかろうかといった目で度々見られ、自分でもそうなのかも知れないと思っていたが、それには理由があったのだ。

 私は最近、自分が発達障害の診断を受けた際に、WAISの検査を受けた。スコアは全般的にわりと高かったのだが、ワーキングメモリに関する領域が低く、そのアンバランスが発達の凸凹を引き起こしているという事だった。人が話している内容が理解できないのではなくて、ワーキングメモリが弱いため、話を覚えておくことが難しいという事なのかも知れない。話を聞いている途中で、始めの部分が記憶からこぼれてしまうので、1度聞いただけでは話がつながらないのだろう。

 記憶術や脳トレなどでワーキングメモリを強化できるのだろうかといろいろ調べてみたが、今のところ私は「できない」という結論に辿り着いており、鍛えられないのならば何とかして代わりの方法を考えるのが良いのではないかと思っている。(これから考えが変わるかも知れない)。

 私が自分にとって有効だと思っていることの1つが、イメージの力を借りることだ。人の話を耳から理解することについて言うと、相手の話が始まって、あ、なんだかややこしそうな内容だなと感じたら、話の情景を思い浮かべながら聞くようにしている。

 なるべく具体的に、印象に残るようなイメージ(極端に誇張したような感じ)を頭に描きながら、目を閉じて苦悶の表情をかすかに浮かべて話を聞くので、相手からは少し変な人だと思われているかも知れないけど、話をよく理解するためにやっているのだから、背に腹はかえられない。

 話が少し逸れるが、TOEICのリスニングテストはほとんど、会話やアナウンスの音声を聞いて、それに関する質問に答える(答えを選択する)という試験方式なので、人が話している内容を覚えていられない私にとっては、かなり絶望的だった。しかし、「情景をイメージしながら聞く」ようにしたところ、かなり話の内容が頭に残るようになり、解答するのが楽になったと思う。

 職場の身近な人で、理解を示してくれそうな人には、自分は口頭だけで言われた事は飲み込みにくいので、何度も同じ事を聞いてしまうかも知れないけど、悪意はないと言うことを、なるべく伝えるようにしている。私の上司は西洋人なのだが、その話をしたところ、「ah, you are a video-person」とあっさり納得してくれた。その人がたまたまそう言った認知特性について知っていただけなのか、海外では日本より理解が広がっているのか、どちらなのかは分からない。電話で話すことが多く、私が単純な質問を聞き返すと苛立ちを隠そうともせずに言ったことを繰り返していたので(たぶん英語が通じなかったと思われていたのだろう)、分かってくれてほっとしている。

 また、イメージを記憶に結びつけるという事では、マインドマップが良いのではないかと考えている。コンピュータを発明したフォン・ノイマンは、自分の頭の中に大きなホワイトボードの様な物を持っていて、そこに書かれている事を頭の中で思い浮かべて「見る」事が出来たと、何かで読んだ様に思う。私も自分が作ったマインドマップなら、100%写真の様に思い出す事は無理だが、ある程度は細部をイメージして思い出す事が出来る。マインドマップは頭の中のもやもやを吐き出すためにばかり使っていたけれど、これからは記憶を助けてもらう目的でもっと書いてみようかなと思う。

困り感の続き1 ー 自己肯定感が低い、時間感覚が弱い

 「何でもとりあえず自分が悪いと思ってしまう」

「相手の顔色を必要以上にうかがってしまう」

「言いたいこと、言うべき事を言うのに抵抗がある」

 これは、発達の特性から来ているのではなく、二次障害のトラウマなんだろうと思う。子どもの頃からしょっちゅうダメ出しされて、自分でも時間の観念がなくグズグズしていると嫌気が差していた。学校の成績は悪くなかったが、かえって、やればできるのに怠けている、根性がない、努力不足、甘えだと、周囲も自分も思っていた。

 おまけに父は今思えばどう考えても自閉症アスペルガーで、そんな父に対して母もうんざりしており、おまけに私は(大人になって子どもができるまで誰も気づかなかったけど)発達障害で育てにくい子だったに違いない。大きなパニックは起こさなかった(と思う)が、かんしゃく持ちで、しつこく、他人の神経を逆なでする言動が多かったと、自分でも思う。おそらく、愛着障害の問題もあった。

 中学校の頃から周囲になじめなくなって不登校になり、大人になってからもアルバイトや仕事を何度もばっくれた。いろいろ自分と折り合いをつけて何とかやっていける様になったのは、カウンセリングに通ってトラウマワークに取り組んでからだ。時間もお金も結構かかった。それでもうつになって今も薬を飲んでいる。

 若い頃は子どもを持つなんて自分には絶対無理と思っていたけど、カウンセリングでインナーチャイルドワークを受けて元気になるうちに、ふと自分が赤ん坊を抱いているイメージや、ゆりかごの周りをいろいろな年代の自分(インナーチャイルド)が取り囲んで、眠っている赤ちゃんを見守っているといったイメージが浮かぶ様になっていった。

 それからしばらくして、今のだんなと結婚して息子を授かったところ、4歳の頃に発達障害と診断された。驚いたけど、今までの自分の悩みの数々に答が出て成る程と思い、どうしたらいいのか見当がつく様になってきた。

 以前に比べたらだいぶマシになってきたと思うけれど、それでもまだ、自己主張や要求、断るといった事が苦手だ。自分を卑下して粗末にしていた方が、本当は嫌なのに、何だか落ち着く。汚部屋にうんざりして部屋をきれいにしてみたけれど、やっぱり散らかっている方が落ち着くし、片づいた状態をキープする習慣もエネルギーも足りないと言った感じだろうか。そこそこ回復してきていたつもりだったけど、損なわれた自己肯定感を人並みの水準にもっていくのは、やっぱり簡単ではないんだと、日々思う。

 ただ、いつの間にか、かなり沈んで落ち込んでも、どうにかやり過ごして浮上できるようになってきた。相変わらず、落ちている時は不安でたまらなく、ものすごくしんどいけど、好きな物を食べて、アファメーション的なことをして、薬のんで瞑想CDを聞きながら眠れば、そのうち大丈夫になると、何となく分かっている。年をとって図々しくなってきたのか、経験でカバーできる様になったのか、理由ははっきり分からないけれど、レジリエンスの力がついてきているのを感じる。カウンセリングや心理学的な事を勉強したり、発達障害のメカニズムについて理解が深まってきたのが効いているのかも知れない。

 

「時間の感覚がおかしい」

「スケジュールや締め切りを意識できない」

「人の気持ちを考えるのが下手」

 この3つの発達特性は、私が生活していく上での困り感がかなりクリティカルな項目の一部だ。どれも、社会人として、何か失敗をやらかした時のダメージが大きい。

 前にも書いた様な気がするが、私は時間の感覚がかなりおかしい。例えばデジタル時計の表示が17:10でも17:40でも、大して差が無い様に感じられる。息子を保育園に通わせていた時はしょっちゅうお迎えに遅れて超過料金を払っていた。

 日付についても同様で、今日が6月12日だとして、締め切りが6月19日でも6月23日でも、どちらも同じくらいの余裕がある様に思えてしまう。と言うか、余裕があるのか無いのか、イメージが何も思い浮かばないというのが多分正しい。段取りを考えて見通しを立てるのも苦手だ。大きなタスクを細かいステップに分けて考えろと時間管理的な本には書いてあるが、それが出来れば苦労はしない。

 こんな感じなので、仕事に取り掛かるのはいつも大抵締め切りの前日だ。当然、あらかじめ準備しておかなかったので出来ない箇所が出てきたり、深夜まで掛かってやっつけ仕事をしたりといった事になる。仕事以外の場面でも大して変わらない。

 また、他人の感情を汲み取る事が出来ずに的外れな発言や行動を繰り返してしまうという事については、どういった結果になるかは言うまでもない。孤立して(孤立すること自体は大して気にならない)、周囲の協力が得にくくなり、いろいろやりずらくなる。

 最近ふと、時間感覚がおかしいのも、他人の感情を読み取りにくいのも、どちらも「目に見えないもの」だからなのかも知れない、根っこは同じなのではと思う様になった。たぶん、目に見えないから分からないのだ。

 発達障害で認知に偏りがある場合、大概は視覚か聴覚のどちらかが優位だと知ってから、自分はおそらく視覚優位なんだろうと思っている。視覚支援の手法について書かれた本を読んだ時にも、自分にフィットすると感じすとんと腑に落ちた。もし、時間や日付、他人の感情が、目に見えなくて分からないのだとしたら、見える様にすれば、視覚的に感じられる様にすれば、良いのではないだろうか。

 時間については、かなり前から直感的にその事に気付いていたので、職場では自分の机の上にアナログの目覚まし時計を置いている。同僚からは、「時間なんてパソコンの画面の隅にいつも(デジタルで)表示されているじゃないですか」と、時々あきれられるが、自分にはこれが必要なのだ。本当は残り時間が目に見えるタイムタイマーも置きたいが、さすがにそれは恥ずかしい。あ、でもアプリやPC用のウィジェットを使えば目立たないかな。ちょっと探してみよう。

 日付についても、最近やっと自分なりの対応方法に落ち着いてきたと思っている。横軸に日付、縦軸に時間が表示された週間カレンダーを、3週間分並べて机の前に貼っておくのだ。これで、スケジュールが視覚的に把握できるので、締め切りまでの残り日数が5日なのと9日なのを、同じくらい時間があるとは思わなくなった(こうやって文章にしてみてもやっぱり、あと5日とあと9日の違いは、不思議なことに実感出来ない)。

 また、1日が1ページずつになっているシステム手帳を使い始めてみたところ、これもフィットした。私は別に、毎日が分刻みのスケジュールで忙しいといった事は無いので、予定を書き込むには見開き1ページの月間スケジュールで充分なのだが、1日が1ページという単位だと、これもまた月日を視覚的にとらえることができるので、予定の管理が本当に楽になった。何度もしつこいが、月ごとのスケジュール表だと、締切が翌月の3日でも30日でも、どちらも「来月」で「まだ先」だと思ってしまうのだ。

 じゃあ、人の感情はどうやったら視覚で認知できるかという事については、まだアイディアが浮かばない。以前どこかで、人が怒っている顔や、笑っている顔、困っている顔などのカードと、「嬉しい」、「悲しい」といった、感情を表す名称のカードをマッチングさせるというトレーニングを見たことがあるが、そんな要領で相手が感じていそうな感情に名前をつけて、パターンとロジックで推しはかるのが良いかも知れない。

 

 困っていることについては書きたいことがいくらでもある。長くなりすぎたので、また後で続きを書くことにしよう。

 

日常の困り感 ー 枝葉にこだわる、謝れない

仕事上や日常生活で困っている事を思い浮かべながら、これって自閉的な発達特性が原因かもと思った事や、実行している対応方法などについて、いろいろ書いてみようと思います。

 

「物事が決められない、判断力が低い」

「細かいことにこだわり過ぎてしまう」

 私の場合、何かを決めないといけない時に、周囲の人が自然にスルーしている様な事が気になって仕方がないという事が度々ある。誰かが「こうでこうで、こうだから、こうしよう」と発言すると、「でもこういう場合もあるよね、こういう可能性もゼロではないし。そもそもその判断の根拠が本当に正しいか検証が必要なのでは」などと、いろんな事が頭の中を占めてしまう。

 でも今までの経験上、それを口に出して指摘すると、しかもその発言者が場の中心的な人物だったり、発言内容が大半の人たちに支持されていたりすると、「じゃああなたが勝手に決めなよ。私たちは知らないから。」もしくは「そんなに言うなら自分で確認して下さい。」といった事になりがちなので、たいてい黙っている。そして黙っていると、何も考えていないんだな、鈍くて話について来れていないのかも、等と受け止められてしまう事になる。

 また、何かの資料を作っているときも、あれも盛り込まないと、この点にも触れないと、ここはこういう前提だと補足しないと、などといったことが次々に出てきて、いつまで経っても完成しない。やっとこれでいいと思える内容で仕上がった頃にはとっくにタイミングを逃していて、役に立たない資料になっていたり、情報が多すぎて重要なポイントが分かりにくく、誰にも読まれなかったりといった事になってしまう。 

 細かいことにこだわってしまう(全体像ではなく細分に目が行ってしまう)、考えられる可能性の重要性がどれも同じに思えてしまう(ゼロイチ思考)、といったことが原因なのかも知れないと、最近思う様になった。自閉症の原因と聞いた、脳神経の刈り込み不足という話も思い起こされる。

 いろいろな可能性に思いを拡散させてから、「あ、でも定型発達の人が気にする範囲はこのへんまでかも」と収束させることができたら、ちょうど良い気がする。自分が、細かいことが見えすぎる「自閉メガネ」をかけている事に気づき、その度数を調整するという感じのことが意識的にできたら、困り感を減らせるのかも知れない。

 

「謝るのが苦手」

「言葉へのこだわり」

 いつか出席した自閉症のセミナーで、「一番病」という言葉を聞いた事がある。ゲームで自分が負けるのが我慢できない、スポーツなどで1位にならないと気が済まない、という、自閉症の参考書によく書いてあるあれだ。

 うちの息子にもその傾向があり、家ですごろくやトランプをしていて自分が負けそうになると途中でゲームを終わりにしようと言い出したり、盤面をひっくり返したりする事が時々ある。私自身には子どもの頃にそういった事をした記憶がないので(忘れているだけかも知れませんが)、ああ、息子には出たんだなと思っていたのだが、最近やっぱり自分の中にもそういった面があることに気がついた。

 どうやら私は、誰かに謝罪すると相手に負けたような気がして謝れない事があるらしい。いつも誰に対してでもという訳ではないが、大概は似たタイプの相手に対してそういう感情が起きる事に気がついて、あ、これって一番病の一種かもと思ったら、謝ることが少し楽になった。「謝る=負け」というこだわりの存在に気づき、葛藤から距離を取れる様になったのかも知れない。

 また次に、実際に謝る段階では、特にそれがメールで謝罪文を書くような場合だと、「こう書くとこういう意味にも受け取られてしまうかも知れない、じゃあ何々もお前の落ち度だと突っ込まれるかも知れない、でもこの点に触れないと前後関係が成り立たない、かと言ってくどくど細かく書くと謝っている感が薄まってしまう」などと、延々と考えてしまい、大して重要性のないメールを1通書くのに1時間かかってしまったりする。

 そんな時にいつも思い出すマジックワードがひとつある。昔の職場の上司が社外に公表する文章を考えていて煮詰まったときに、「そうだ、日本語がよくわからない人が書いたという事にしよう」と宣言して、よくよく見ると論理が微妙に飛躍している文章を、もうこれでいいやと決定稿にしてしまったのだ。

 私も大抵、文章を書いていて深みにはまりそうな時は、この言葉を思い出して適当に切り上げることにしている。そもそも、他人の書いた文章なんて、大概適当に読み飛ばしたり、読み手の思い込みに沿って曲解されたりするのだから、その程度で良いのかも知れない。

 

 まだまだいろいろあるけど、くたびれたのでまた後で続きを書こう。今日はもう、薬のんで寝ようかな。