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sabakubakubakuの日記

発達障害児を育てる発達障害ワーキングマザーの日記

アスペルガーの息子に勉強させたい

息子の特性や諸々を考えて個別支援級に入れることに決めて、1年経過した。小2に進級したが、親も学校も本人も誰も、一般級へ移動することなど念頭になく、今年も当然に支援級だ。

 

支援級でもまあまあそれなりに学年相当の勉強はしていなくもないし(一応1年生の漢字はだいたい全部覚えたらしい)、何より学校を嫌がらずに毎日登校している。学童渋りはしょっちゅうだが、学校しぶりは夏休み、冬休み明けでも、一度もなかった。自分が不登校をした身なので、息子が不登校になっても、まあ仕方ないかと思っているが、今はまだ低学年なので1人で家で過ごさせる訳にもいかないし、フリースペース等に毎日送迎するのも、正直おっくうだし、費用もかかりそうだ。しばらくは学校に通っていてくれた方がありがたい。

 

1年生の途中から算数などの授業に部分的に参加する「通級」を行う計画だったが、一般級のクラスの子の集団に入るのが怖いらしく、朝の会に時々顔を出すのがやっとだった。まあ、私だって週に1回よその会社の大きな会議に、勝手もわからないまま1人で参加しろと言われたら、嫌だもんなあ。2年生では少し授業に参加できるといいと思うが、やっぱり難しいかも知れない。取りあえず学校には行ってくれているから、多くは望まないようにしよう。

 

本人は6年生まで支援級にいると言っているが、本人の気が変わったり、環境を整えることができたりすれば、一般級に移ることを考えたいと思っている。その時のために、公文式の国語と算数を最近始めてみた。同じ学校の支援級の子も何人か通っており、すんなりスタート出来た、と思ったが、初めだけだった。すぐに宿題や通所を嫌がる様になり、行きたくない、行くなんて言わなければ良かったと言い出した。

 

宿題を家でやらせようと、終わったらタブレットで30分ゲームをしていい、宿題1日分が終わったらシール1枚、x枚たまったらxxを買う、などいろいろ考えたが、なかなか難しい。

 

ある時、家で宿題をするように言ったが全くやろうとしないので、お母さんも勉強すると言って、テーブルで中国語のテキストを開いて隣に座ってみた。それでも渋々ではあったが、何とか取りかかる姿勢になったので、算数からやらせることにした。

 

初めは全部のプリントを机の上に置いていたが、たくさんあると言ってげんなりしていたので、1枚だけテーブルに残し、あとは見えない場所に引っ込めた。終わった分はテーブルの上に重ねて置いておき、また次の1枚を取り出して続けさせた。すると今度は、終わってもまだあると文句を言い出したので、「あとx枚だよ」と声を掛けるようにした(声かけではなく、残り枚数が視覚的に分かるようにした方が良かったかも知れない。次はそうしよう)。そうして算数は何とか終わらせることが出来た。ただ公文のプリントを10枚弱やらせるだけで、何でこんなにうんざりしないといけないんだろう。

 

後は国語の書き取りと音読がある。まず音読をさせようと思ったが、黙読で済ませようとするので指摘すると、お母さんだって(中国語のテキストを)読んでないと文句を言う。それではと私も声に出してテキストを読んでみたら、息子もおとなしく自分のプリントを音読し始めた。取りあえず効果があったので、次もこの手を使ってみよう。

 

息子と一緒に公文のプリントをやっていて、自分も昔、書き取りや比較的易しい計算ドリルが大嫌いだったことを思い出した。ものすごくイライラして苦痛だった。書き取りはいつも乱雑に書き殴ってさっさと終わりにしていた記憶がある。中学の時の書写のテキストを、なぞるために印刷してある手本の薄い文字を丸無視してかなりキタナク終わらせ、担当だった教頭先生に唖然とされた事を思い出した。

 

ちょうど自分が、少しややこしい仕事があるとうんざりして先延ばしにしてしまうことや、信号や電車などちょっとした待ち時間に耐え難いイライラを感じる場面を思い出した。おそらく息子も私たちと同じように、書き取りや単純なドリルがたまらなくストレスに感じられるのかも知れない。

 

もし息子の公文のプリントに対する感覚が私と同じなら、逆に私が自分に有効だと思っているやる気スイッチも、効果があるのかも知れない。プレッシャー(締め切り、チカラのある人からの叱責、クイズ形式など)、適度な難易度、気が散る物の排除、とかかなあ。

 

取りあえず、私が息子を公文に通わせる目的は、算数や国語が、一般級でもそこそこ困らない程度に出来るようになることで、決められた分量の宿題を、毎日キレイに全部こなすことではないのだから(自律的にそうしてくれれば何よりだが)、公文のシステムを通じて、息子のやる気スイッチの入れ方を、少し探ってみよう。そしてそれは多分、自分の仕事のパフォーマンス向上にも使えるかも知れない。何となくそんな気がする。

自閉症の診断

先日読んだ「ハイパーワールド 共感しあう自閉症アバターたち(著:池上英子)」という本は、とても面白かった。本屋の店頭で目にして、何となくアンテナが反応して即買した本だ。内容は主に、正直、まだ運営されてたんだと思ってしまった「セカンドライフ」内で活動している自閉症者との会話などについて書かれている。登場してくる人たちはアメリカやイギリスからログインしている人が多いらしく、自閉症についての意識や考え方も「進んでいる」ように思えた。面白そうだから私もセカンドライフアバターを作ってみようとタブレットからアクセスしてみたが、どうもPCから接続する必要がある様で、とりあえず断念した。アプリとかあったらいいのになあ。

 

何点も興味深い情報や考え方についての記述があったが、最もなるほどと思ったのは「ニューロダイバーシティ」という概念だ。自閉症は脳神経回路の多様性に過ぎない、といった考え方で、よく「自閉症は個性だ」とする意見に相当すると思う。今年の4月からセサミストリート自閉症のジュリアという女の子のキャラクターが登場しているそうで、自閉症児の保護者からの要望で5年前から準備がすすめられていたというが、やはりアメリカは多様性やマイノリティについての考え方が進んでいるんだなあと感じる。

 

私も常々、自閉症発達障害というのは、左利きの人のようなものではないかと思っていた。世の中には普通に生れつき左利きの人が存在して、右利き中心に組み立てられている社会の中で不便を感じながらも、もし身近に「私は左利きなんですよ」と言う人がいれば、単に「ああ、そうなんですか」といった、別に何でもない反応を返すだけのことで(私は左利きではないので、当事者の人たちが心の底でそれをどう思うかまでは分からないのですが)、一昔前のように「徹底的な矯正が必要なのではないか」などとは考えない(考える人もいるのかも知れませんが)。そういうものだと考えていた。なので、ニューロダイバーシティという言葉を聞いて、すとんと腑に落ちる感じがした。

 

ここまで考えて気になるのは、自分は自閉症なんだろうかという点だ。発達障害としては去年やっとADHD/ADDという診断名をもらえたが、アスぺルガーや自閉症スペクトラムとは診断されていない。自分の成育歴や家族(私の父や父の家系は、どう考えても高機能自閉症だ)のことを考えたり、子どものころから何度も繰り返している人間関係の失敗の内容を考えると、グレー度はそれほど濃くはないかも知れないが、おそらくアスぺルガー症候群なのではないかと思う。自分のことを考えるときに、長年「どうして私はいつもこうなんだろう」と思い悩んで落ち込んでいたことが、「なんだ、自閉症スペクトラムだったからなのか」ということですんなり説明がつくことが多々ある。でもそれと同時に、「私は本当に自閉症スペクトラムなんだろうか」と いう不安もあり、やっぱりなんだか落ち着かない。

 

前掲の本、「ハイパーワールド」の中で自閉症当事者として登場する人たちの中にも、大人になってから自閉症スペクトラム的な特性に気づき、子どものころなら医者に連れていかれて診断を受けて、早期療育などの支援の対象となっていたかも知れないが、成人して(生きづらさを抱えながらも)社会生活を送っており、今さら診断を受けても大勢に影響はない、といった状況の人がいた。

 

まあ、診断を受けたから何が変わるというものでも無いとは思うけど、やっぱり何となく、診断名をつけてもらってすっきりしたいという気持がぬぐえない。

 

元気が出ないときは

時々無性に疲れを感じたり、元気が出ないときがある。そんな時はこんな感じでやり過ごすようにしています。

 

寝てしまう。息子の寝かしつけをしながら、9時くらいに寝てしまう。または、週末に好きな本を読みながら、ベッドでごろごろして、さらにビールを飲んだりポテトチップを食べたりしながら、寝てしまう。眠れないときは、心療内科でもらった薬を飲んで、寝てしまう。

 

瞑想をする。マインドフルネス瞑想や、インナーチャイルドのイメージワーク、フォーカシングなど、特に習ったりしたわけじゃないけど、本を読んだり、やってる人の話を聞いて参考にしたりして、いろいろ試したりしています。簡単なのは、瞑想入門的な薄い本に附属の、ヒーリングミュージック的な音楽とガイダンスが収録されているCDを聞きながらの瞑想。「息を吸って、吐いて、5回繰り返して」的なインストラクションが流れるので、そのまま従うだけ。寝る前にCDをかけて、そのまま途中で眠ってしまうことも。

 

好きな本、小説、漫画を読んで、夜更かしする。好きな映画、アニメ、ミュージカルなどのDVDを見る。余談になりますが、私は自制心が弱く、普段目に付く場所にこういった物が置いてあると、手に取ってしまわずにはいられない。だから、目に入らない場所に隠しておく。見えなくするだけである程度制御できるのだから、我ながら分かりやすい特性だと思う(視覚優位なんだなあ)。また漫画はや小説、アニメのDVDは、息抜きの間にも自動的に自分に負荷をかけるために、英語や中国語などの輸入版を家に置くようにしています。

 

オラクルカードを手に取ってながめてみる。私はスピリチュアル系のあれではないのですが、臨床心理士さんのカウンセリングルー厶でオラクルカードという物を知り、自分でもいくつか購入してみました。綺麗で優しい絵柄をながめ、何となく気になったカードを選んで、好きなように並べてみたり、書いてあるメッセージを手に取って読んでみたりしています。(私が持っているカードには)基本的にポジティブなメッセージしか書いていないので、安心して選ぶことができ、読むとほっとした気持ちになります。ちなみに私はオラクルカードも英語版を使う様にしてます。日常会話ではあまり見かけない単語が出てきたりして面白いです。

 

これもスピリチュアルではないつもりですが、天然石を眺めるのも好きです。少しずつ買い集めた水晶、おばあちゃんの形見の指輪にのっている宝石、台湾の友達がくれた翡翠の腕輪、などなど。光のあたる角度をかえてきらめく色合いや質感を眺めていると、没頭して見入ったりしてしまいます。あ、これってもしかして、自閉っ子が水面で輝く光ややキラキラする物に何故か惹かれる、あの現象なのかも。「感覚遊び」と関係あるのかな。

 

あとは、とりあえず会社に行って、溜まっているファイリングや交通費精算とか、面倒で後回しにしていた単純作業を片付けるとか。元気ないなりに、パワーセーブモードで何とか定時までやり過ごす。それでも駄目なときは病欠かな。午前半休するだけでも、結構そこそこ元気出るかも。

 

それでも無理なときは、会社を休んじゃう。平日に有給取ってスーパー銭湯に行くのが最高。もしくは家から一歩も出ないノー外出デーにするのも捨てがたい。計画的な有給でないと危険ですが、美容院に行ったり、新しい服を買いに行くのもいいかも。気分があがります。

 

最近はあまりないけど、重症な時はカウンセリングの予約を入れたり、心療内科で薬をもらったり。私にとってはどちらも、「心のマッサージ」みたいな感じです。あ、本当のマッサージに行くのもいいかも。

 

 

 

私の仕事など

自分の仕事や経歴についてちょっと書いてみたくなった。私は今、そんなに大きくない外資系企業の経理責任者をやっている。一応マネジャーらしき役職で、経営会議的なミーティングにも出ている。このポジションに就いて数年経つし、前に勤めていた会社でも同じような事をしていて、昇進もしたから、どうやら何かの間違いでこの仕事を任せてもらえているという事では、恐らくなさそうだ、と思っている。

 

結構やりがいのある仕事で、裁量もあり、いろいろ試行錯誤する楽しみもある。自分の仕事をまあまあ気に入っているという事は、とてもありがたい事なんだろうと、これまで重なった幸運に感謝している。

 

今思えば、発達障害でいろいろロクデモナイ事をしてきた気がするし、今もまだそういった部分があると思うけど、発達障害というか非定型発達の特性のおかげで、うまくやってこれた部分も大きいと、改めて思う。

 

まず、運良く英語、会計、ITのスキルや知識と相性が良かった。英語については、正真正銘に中学英語しか(学校では)習ってないし、大学入試英語なるものを勉強したこともない。でも、何だか知らないけど、社内では留学してた人や帰国子女の次くらいに英語が話せる部類に入っている。英語がもともと好きだったというのもあるかも知れないけど、言語に才覚を現す自閉症傾向の特性が自分にあるのではないかと思う(自閉症傾向やサヴァン症候群気味の人で、何カ国語もの外国語を難なくマスターする人がよくいるという話を、どこかで見聞きした様な気がする)。

 

それから会計。経理の仕事は数を扱うパズルの様な部分があり、非常に面白い。外国語同様、数学も自閉症傾向と相性がいいらしい。また私は多分ちょっと違うけど、アスペルガーで細かい点にこだわりが強いタイプの人にも、数やデータを扱う仕事は多分向いている。ちょっとくらい変人で細かくて空気が読めなくても、経理職なら何となくそれもアリな気がする。

 

ITというかパソコンやシステムの仕事については、特に多くを説明する必要もないくらい、経理職以上に自閉症気味の人に向いた仕事だと思う。そして経理とITは切っても切り離せない仕事内容だ。

 

という訳で、私は運良く、一般的にも「三種の神器」と考えられている、英語、会計、ITと自分でもそうだと思えるくらい相性が良く、その全てが必要不可欠な仕事に就いて、毎日(基本的に)楽しく会社に行っている。

 

アスペルガー傾向のため、空気読めない人になって周囲から浮くこともあるし、ADDのせいで忘れものや勘違いが多かったりという事もあるけど、発達障害について自分なりに知識を蓄え、自己理解を常に深めようとしているためか、何がまずいか、どう方向修正したら良いかという事が、自然に浮かんでくる(自分でそう思っているだけかも知れませんが)。

 

また、コミュニケーション下手で人付き合いも不得意だし、気がつくとしょっちゅう社内でぼっちになっているけど、自閉症傾向の自覚があるからあまり気にならない(多少寂しくなったり、傷ついたと感じる時もあるけれど、基本わりと平気)。

 

時々、もし自分が子どもの頃に、親や教師など周囲の大人がもっと発達障害の特性を理解して配慮をしてくれていたらとか、いま息子が受けているような療育やソーシャルスキルトレーニングを受けることが出来ていたらとか、せめてトラウマで傷つく事なく、自己肯定感を持って育つことが出来ていたら、とか、もしも、もしも、という思いがいろいろ湧いてくる事がある。もっといい仕事に就いていたかもとか、誰が聞いても立派だと感じる学歴を手に入れて、躊躇なくFacebookのプロフィールを埋めていたかもとか、読者や受講者の立場で興味をそそられている脳科学や心理学の分野で、最先端の研究に参加出来ていたかも知れないとか、思いは尽きない。

 

でもいつも結論は、もし自分が今までと違う環境で育って、違う生き方をしてきたとしたら、たぶん今私が(だんなそっちのけで)可愛がっている息子を授かっている事はなかったし、あったかも知れない仮定の人生と息子を取り換えたいとは微塵も思わないので、これで良かったんだ、という事になる(仮定の人生プラス今の息子、という結果もあり得たかも知れないと思うと、若干ブルーになりますが)。

 

それに、普通に学校に行って、高校や大学に進学し、普通に就職活動していたら、おそらく発達障害にも気づかず、自分が自閉症気味などとは夢にも思わないまま大人になって、今以上に生きずらさを抱える事になっていたかも知れないと思う。多分。

 

だからやっぱり、今日も、これで良かったんだという結論になる。

 

 

 

 

何がしたくてこんなことをやっているんだろう

自分自身の事をもっと理解したくて、仕事のパフォーマンスや生活の質を上げたくて、息子の療育のために、単なる知的好奇心から、脳科学や心理学の本を読みあさっている。記録をつけていないので何冊読んだか分からない。今リビングにある目に付く本を数えただけで、だいたい100冊は超えていそうだから、寝室や職場にある本、人に貸している本、すでに手放した本などをカウントすると、200冊くらいかな。結構そこそこの量の本を読んだと言っていいかも知れない(もちろん質が大事だが)。1冊1,000円したと仮定すると、20万近く出した計算になる。著名な先生の講演会や、しっかりしたプログラムのセミナーなどに行くと、数万円かかることを考えると、本から知識を吸収するのは時間と労力がかかるが割に合っていると思えなくもない。

 

読書好きな人になら分かると思うけど、本を読んでいると文中に引用されている他の本や、参照として紹介されている本などが出てくる。元の本が面白ければ、この著者が薦めるのだからこっちも良書なのだろうと思い、その場でアマゾンマーケットプレイスで検索して発注する。こうして、家の中の本がどんどん増えていく。

 

今の興味の主な対象は、脳科学自閉症発達障害、心理学などだが、他にコミュニケーション、語学、経営などの本が加わる。また気分転換に小説や科学系の読み物に手が伸びることもある。速読にも興味があるが、フォトリーディング等の講座は結構高く、本当に自分にも効果があるのか半信半疑なので、踏みきれないでいる(こんな時は、10万円近いセミナー費用を駄目元といった感覚でポンと払える人がうらやましい)。

 

私は中学校の時に不登校になり、高校にも大学にも行かなかった。(でも昔の高卒認定の大検は取ったし、専門学校にも一応行ったし、大人になってから通信大学で学位を取ったから、堂々と胸を張って不登校と言い切るのにちょっと変な抵抗がある。でも皆と同じ時期に高校に進学しなかったというのは、結構特異なことだと思うから、まあいいか。)

学校へいかなくなってからの勉強は、主に興味と関心のおもむくまま、何となくこっちの方向と感じるままに、本を読んだり、勉強に首を突っ込んだりしていたら、いつの間にか今の地点にたどりついた。トラウマやウツでしんどい時期もあったけど、おかげ様で今の自分は結構気に入っている。発達障害、というか非定型発達者として与えられて発達してきたアンテナのおかげだと思っている。

 

いろいろな偶然と幸運がかさなって、ここまで来たんだなあと、自分の来し方を振り返ってみて、少し満足したり充実感を覚えたりすると、何だかちょっと嬉しい。

大人になった不登校児あるある

Facebookのプロフィールに書く出身校がないので、高校名や大学名の入力をうながす質問が表示される度にもやもやする。

 

途中から、大学に行っていない、的な選択肢が追加されたけど、なんとなくそれを選択するのに抵抗を感じるので、質問がいつまでも表示され続ける。

 

職場で学生時代の話が出た時に、選択科目は何にしたとか、大学入試は共通一次だったかセンター試験だったかといった話題で盛り上がると(トシがばれる)、ものすごく居心地が悪く、一刻も早く話題が変わってくれる事を心の中で祈り続ける(でも目立ちたくないので自分からは変えない)。

 

新聞などで「不登校」という言葉を見ると、「登校拒否」という言葉が一般的だった時の事を思い出して、時代が進歩したなあとしみじみしてしまう。

 

小学校低学年から不登校だったなどという年季の入った人の話を聞くと、筋金入りだとリスペクトを感じる(比較的短期間だったら大したことない、とかいったイミではないです)。

 

学歴ロンダリング目的で通信大学院やMBAの資格を取ることを真剣に検討したことがある(それが悪いとは思いません。トライしている人がいたら応援します)。

 

子どもの学校で心配事があるどうしようか悩む時に、いざとなったらフリースクールへ行かせれば良いと本気で思っている。

 

なんだか調子が悪くウツかと思って心療内科を受診したら、発達障害と診断された。ついでに家族もそうだと分かった。

 

うーん、他に何かないかな。

評価されたい、認められたいんだなあ

本業とは関係ないのに、心理学や脳科学などについていろいろ自分なりに勉強を続けているのは、自分の癒やしのため、息子の療育のため、職場の人間関係改善のため、好奇心の探究など、いろいろと目的や理由がある。でも、もしかすると、最大の動機は、「頑張っているね」、「すごいね、よく勉強してるね」などと、周りの人から思われたい、認められたいという事なのかも知れないと、時々思う。

 

私は中学校の途中から不登校になって、高校には行かず、大学にも皆と同じ年代の時には行かなかった。中学校の時、瞬間的に成績が非常に良かったので、家族も先生も、地域で1番良いとされる高校に進学して、どこでも好きな大学に行くと思っていた(後から知った)。だから、不登校後に一応卒業ということになって、高校に進学できず、1年待って地域でかなり評判の芳しくない学校に行くことになった時は、皆が残念がった。私は無理をして何とも思っていない様な態度を取っていたが、今思えば相当自分の感情を抑圧していたということに、気がついた(そういう感情を持っていたことを受け入れる気持ちに、やっとなることが出来た)。

 

たぶんその頃からずっと、自分の能力はこんなものじゃない、もっと実力がある、やる気を出して頑張りさえすれば、といった感情を、自分の内側に抱えて来たんだろうなあと、改めて思う(ちなみに、やる気を出して頑張ることが自分には難しいとは気づいていたけれど、それが努力不足ではなく、発達障害から来る脳のクセという事には、当然思い至らなかった。自分はナマケモノだと思ってずいぶん落ち込んだけど、今考えるとこれもトラウマだったんだなあ)。

 

そんな感情をはね除けたくて、いろいろ勉強したり、仕事を頑張ったりして来れたのかも知れない。アドラー心理学の本に、劣等コンプレックスを感じ、そこから脱しようとして努力するのは健康な心のはたらきといった事が書いてあった気がするけど、きっとそういう感じだ。認められたい病はみっともないと思って必死で抑圧していたけど、普通の感情だったという事かな。

 

私の中に、私を見て、ほめて、認めてと、いつも黙ってアピール(でもカッコワルイので声は出さない)している自分がいると思っていたけど、やっぱりいたんだな。心の森の中で、癒やしを求めて気づかれるのを待っているインナーチャイルドを、また一人見つけ出せたかな。