sabakubakubakuの日記

発達障害児を育てる発達障害ワーキングマザーの日記

これから書きたいことは、

発達障害の息子をもつ母として、また当事者として、いろいろ考えていることを書いてみたいと思っています。

 

(自分のこと)

- 生い立ち

- 原家族のトラウマ

- 自分のこと(ADHD/ADDと診断。発達でこぼこあり)

- 父のこと(たぶん高機能自閉症だった)

- 母のこと(たぶんADHD/ADD)

- 祖母のこと(たぶんADHD/ADDだった)

- 夫のこと(たぶんアスぺルガーでカメラアイ)

- 息子のこと(高機能自閉症と診断。現在個別支援級)

- トラウマからの回復

- 仕事のこと

- 育児のこと

- 勉強のこと

- 英語、中国語

- マインドマップについて

- 発達障害のこと

- 不登校だった時のこと

- 心理学と脳のこと

- affirmation

- 瞑想、マインドフルネス

- 読書記録

 

(息子のこと)

- 支援級のこと

- 療育のこと

- ワーキングマザーであるということ

- ペアレント・トレーニングのこと(CSP)

- 視覚支援のこと

 

書きたいこと、発信したいこと、息子のために書き残したいことは山ほどあるけど、なかなか考えがまとまらない。少し書きはじめると、なんだか脱線してしまい、どんどん長くなってしまう。

 

ブログにまとめながら、考えていることを整理できたらと思う。

 

 

 

アピールしないけど認められたい病

の、ようなものに掛かっているんだなと気づかされる出来事がありました。

 

職場の同僚に、どうもADHDアスペルガー気味なのではないかと思われる女性がいて、気になってます。理由は2つあり、1つは事務関連の業務に著しい遅れやエラー、トラブルが頻発していて、注意を向けざるを得ないという点、もう1つは、まるで自分自身の姿を見ている様で「あ、私って周囲からこんな風に見えるのかも」と日々気づきを与えてもらっているからです。

 

また、彼女はコミュニケーションが粗雑で、周囲との摩擦が度々生じています。私にとって特に気になるのは「敬語をあまり使わない」という点で、多少の事はまあ仕方が無いとスルーできる私も、なぜかこのことだけは、常々カチンと来て流せないのです。

 

何でだろうと悶々と考えるうちに、ああ、私は自分でも気づかなかったけれども、と言うかその感情をたぶん抑圧していたんだろうけれど、実は承認欲求が強いんだろうなと気がつきました。

 

私は自分自身では、遠慮がちで目立つことを好まず、陰で皆を支えるポジションが好きなつもりなのですが、それでもやっぱり、縁の下の力持ちの役割を果たしている(つもり)事に対して注意を払ってもらいたいし、認められたいんだろうなあと言うことに思い至りました。

 

だから、入社年次が私よりも後で、同年代の彼女に職場で、馴れ馴れしい砕けた言葉遣いで話し掛けられると、その「伏せているつもりだけど、気づいて認められたい承認欲求」の上を土足ですたすた歩かれた様に感じて、腹が立つのかも知れないと、今回初めて思いました。

 

その事に気づいてからも、彼女の態度には相変わらずカチンと来るのですが(もし本当に彼女がアスペルガーだとしたら、やむを得ない事なのでしょうが)、その一方で、声高に「私を見て!注目して!褒めて!認めて!」とアピールしないのに、周囲の注意だけはしっかり求めている自分のあさましさに、気が滅入る様になってしまいました。

 

今は、この感情とどう付き合っていこうか、いろいろ考え中です。何故こんな思考パターンが出来てしまったのかについては、心当たりがあるので、トラウマの解消が必要かもと思う次第です。

 

 

何が言いたいのかと言うと、

なぜこんな風に自分の事をつらつら書いてみようと思ったかと言うと。。。

まず、自分の生い立ちを思い返して、あの時のあれは何だったんだろうと言う出来事に、今思えばそういう事だったのかと理解したい(トラウマの解消)という気持ちがあります。子どもの頃から文章を書くのは好きで、迷走していた頃は毎日ノートに、今思えば恥ずかしくてとても読み返せない様なことを書き付けてました(もし当時SNSがあって、公開した文章がネットに残り続けていたらと思うと寒気がします)。

また、発達障害の息子を育てる発達障害のワーキングマザーとして、現在の自分の困り感や気付きを書き留めたり、あと自分の過去の出来事や今直面している困難との取り組み(乗りえたと思っても次から次に問題が出てくるし)を、同じ様な事で困っている人が見て共感してくれたり、何かの参考にしてくれたら、と思っています。

誰かに読んでもらえたら嬉しいなあ。

まず自分について

私は数年前に息子が産まれ、その子が4歳でグレーゾーンの自閉症スペクトラムと診断され、その後いろいろ考えて自分も発達障害と確信したパターンです。すっきりしたかったので、診断をとり、今は心理検査の予約待ち中です。

いちばん困り感の強い特性は、最近までは先延ばし癖と締め切り破りでしたが(これは薬が効いているのか、上司にも驚かれるほど改善しました)、今はコミュニケーション(特に職場)かも知れません。

簡単な生い立ちは、今思えば父親がたぶん高機能自閉症で(トランプで場に捨てられたカードを記憶してるとか、幼少時にお米粒の数を意識しながら食べていたとか)、母はADHD(家はいつも散らかっており、冷蔵庫には何だか分からなくなった物がよく入っていました)だったと思います。

家族の仲は、私が十代後半になるまでは良くも悪くもなく、身体的な暴力などの分かりやすい虐待もありませんでした。ただ、休日に誰もどこにも行かないので、見かねた祖母がたまには子ども(私)をどこかに連れて行くようにと言うと、決まって今で言えばオリンピック的な店に行き玩具を買う、といった家庭でした。

家族旅行のような行事もなく、同級生が家族でどこそこに旅行したという話を聞き、なぜ親と、親戚がいるわけでもない場所に泊まりに行くんだろうと、不思議を通り越して気持ち悪いと思った記憶があります(今では夫と息子との外出や旅行を楽しんでいますが)。

小学校の頃は特に大きな問題も起こさず(今思えば発達障害以外の何物でもない出来事がいろいろありました)、友達もいましたが、高学年から中学校にかけて、当時は意識していませんでしたが周囲と馴染めなくなり、不登校になりました。

結局中学校には復学せず、高校、大学にも、同級生と同じパターンでは進学しませんでした。幸い(これも今考えると自閉症スペクトラム特性の影響と思いますが)、記憶力やロジックがそこそこ得意で(後に数やPCスキルが要求される仕事に就きます)、聴覚が良いのか英語も好きだったので(これも職場で役に立ってます)、大検(今の高卒認定)を取って、専門学校を卒業し、派遣で仕事を始めました。その後縁があり、正社員になり、いまは問題を抱えながら何とか一応管理職に就いています。

今思うと、両親が特性持ちで機能不全家庭で育ち、自身も遺伝で発達障害だったため学校に不適応を起こしたものの、運よく非正規で就職できた、という事だったと思えるのですが、当時は(学校の教師も含め)発達障害の知識なども一般的ではなく、インターネットも無かったので、ただの問題児扱いでした。

ただ、これも自閉症スペクトラム的な特性だったのか、私自身は特に困ったとも悲しいとも苦しいとも感じず(当時はそう思い込んでいただけで、後でトラウマとして出てくるのですが)、家で物を壊したり、摂食障害自傷などもなく、大きな問題行動は無かった様に思います。あえて言えば、昼夜逆転とゲーム依存(もし当時ネットがあれば、おそらく依存していたと思います)くらいでした。

そう言えば最近、愛着障害のチェックリストで「火をつけるのが好き」という項目を見て、それはあったなと思いました。たき火はもちろん大好きで、家の物置の中で空き缶の中に物を入れて火をつけて近所の人に注意されたり、居間にあった陶器やガラスの灰皿の上でちり紙を燃やしたら真っ二つに割れてしまったという記憶があります。

そんな感じで、はつらつとして元気で明るい子などでは決してなく、かといって地味でおとなしく目立たない子でもなく、どちらかと言うとまあまあ普通の子だったけれど、年齢とともにだんだん周囲とずれていったんだなあと、改めて思います。

発達障害のことなどいろいろ

発達障害のことなどいろいろ書いてみようと思います。

主に記憶の整理や内省のために、自分自身、息子、夫、父、母、祖母の事を、思い出しながら書いて、新しい発見や気付きを得られたらと思った次第です。

うーん、改めて思うと、私の家族や近しい親類は、発達に偏りのある人ばっかりだ。