sabakubakubakuの日記

発達障害児を育てる発達障害ワーキングマザーの日記

くたびれた

息子が小学校2年生になり、ようやく小学校生活が1年間と少し経ちほっとしたからか、何だかどっと落ち込んでいる。なかなか浮上できそうにない。どうにか復活した、と思ってもまた沈む。あ、これってウツだとやっと気がついた。心療内科でよく質問される、エネルギーのレベルが10段階でどのくらいかと考えると、だいたい3くらい。良くて4。駄目だこりゃ。薬もらいにいかないと。

 

よく考えたら、疲れる原因は山ほどある。小2の息子の育児。息子も自分も発達障害。息子の療育、勉強。学童保育へのお迎え。フルタイムの仕事。会社の組織変更。業務量と責任範囲の増加。職場の人間関係。夫の母と同居。近所付き合い。ママ友。家事。家族の健康管理。老後の生活の心配。場合によっては一つか二つでもウツの原因になりそうな事が思いつくだけでこれだけ出てきた。なんだかなー。

 

何気に、土日祝日は息子の相手をするので休みになっていない。家事はもともと苦手なのに時間も元気もないから散らかり放題。部屋の片隅になぜか見慣れない虫が時々いる。週末に息子に勉強させようと思って買ってきた机の上も、いつも物だらけ。

 

食事はいつも適当。発達障害の子に良くあるという偏食のためか、息子は私が何か料理しても食べない。外食でも同様。なぜか学校の給食は毎日ほぼ完食しているらしい。何故なんだ。歯磨きの仕上げをしようとすると、口内炎が痛いとしょっちゅう訴える。野菜不足のせいかとブルーになり、自己嫌悪。

 

夫の母は病気ではないが、結構高齢のため、多少お世話が必要。日中独居なので話し相手がほしい様子だが、申し訳ないけどとても義母の相手までする元気がない。自分が何だかとても冷たい人間になったみたいで、地味に傷つく。夫にヘルパーさんを探そうと持ちかけているが、夫も疲れているのか、仲々話が進まない。

 

息子には、あれも教えなければいけない、これも出来るようにしてあげなくては、周囲の子に比べると全然だめだと、そんな事ばかり考えてしまう。焦って落ち込み、息子の将来が不安になって泣きたくなる。

 

仕事は忙しくなる一方。周囲の同僚からは、今まで経験した職場のどこでもそうだったけど、基本浮いている。そのうち浮いているから一歩進んで、バッシングのターゲットになりそうで非常に不安だ。あ、最近の緊張の1番の原因はこれかも知れない。

 

どうやら、何でもかんでも、出来てない、駄目だ、失敗するに違いない、という思いに取り付かれている様だ。やっぱり薬もらいに行こう。

 

全部いっぺんに改善する事は無理だし(出来るのかも知れないけど)、今は落ちてるからOKなところが目に入らないだけなのかも知れない。(というか、基本自分は駄目だと思わなくてはいけない、という信じ込みがある。トラウマワークが必要だ、多分。)

 

まず、薬を飲む、出来るだけ休む、カウンセリングに行く、仕事も家事も最低限、息子は多分何とかなると思う事にしよう。

 

うーん、とりあえず低空飛行でやり過ごせそうな気がしてきたかも。

発達障害児にとって勉強とは

支援級在籍の息子が2年生に進級したということもあり、息子の勉強についていろいろ考えている。

 

支援級で一応それなりに算数や国語を学習しているが、いずれ環境が整い、本人が希望した時に一般級に移れる様に、そこそこの学力がついているようにしたい。

 

そう思って公文をやらせてみているが、先日のエントリにも書いたとおり、どうにも苦痛でたまらない様だ。確かに、自分が子どもの時のことを思い出すと、書き取りや計算ドリルは大嫌いだった。やっているとイライラしてくるのだ。発達障害児は反復練習を嫌う傾向があると、思い出せないがどこかで目にした様に思う。

 

また、アスペルガー児はその子が興味を示すことを、ゲームや漫画、アニメ、電車などの、オタク的な趣味であっても、尊重するのが良いと、つい先日参加した勉強会で聞いたばかりだ。趣味を介在して、他人とコミュニケーションを取るトレーニングになる、社会との接点ができる等のメリットがあるという考え方だった。

 

以前一読して、ふと思い返して再読している「ギフテッド 天才の育て方(杉山登志郎先生の共著)」という本の中で、海外でのギフテッド教育(IQが非常に高い子ども向けの教育。残念だがうちの息子はギフテッドチャイルドではなさそうだ。)についての記述があり、その子の関心にフォーカスをあて、その周辺に関連付ける形でいろいろな知識を身に付けさせるという仕組みが紹介されていた。例えば、建築に強い関心のある生徒に、強度計算に必要だからと数学や物理を教える、といった要領らしい。

 

これらの事を総合すると、アスペルガーの児童に勉強をさせるには、本人の興味のあることを探り出し、そのトピックに関連させる形で、本人が退屈しない形式で知識をインプットするのが良いのではないかという気がしてきた。何となく直感的に、うちの息子にはフィットするか知れないと思っている。

 

思い出してみると私が子どもだった頃も(そして今でも)、興味のある事、関心のある事柄ならいくらでも頭に入った様に思う。また勉強も、クイズ形式などで軽いプレッシャーがあったほうが集中できた。アスペルガーADHDなどの弱点のひとつは、衝動性を抑えるのが難しいことだ。反復練習の様に、わかっていることをひたすら繰り返すには、じっと我慢して忍耐強く取り組む必要があると考えると、衝動コントロールに問題のある子に向かないというのは無理もない。

 

何かが「好き」で、「やらずにはいられない」、「いくらやっていても平気」という感覚を活用するのが大切なのではないかと思う。

 

また前掲のギフテッド教育についての本の中に、同時処理と逐次処理についての記述があった。まず全体像を把握して、それに関する事柄を同時並行に処理するか、ひとつひとつのステップを順番に処理していき最後に全体像にたどり着くという違いだ。発達障害の認知の特性は人それぞれだと思うが、視覚優位の場合は同時処理が、聴覚優位の場合は逐次処理が合うのだそうだ。

 

一般級での一斉授業は、机に座って教師の説明や指示を耳で聞くスタイルが主なので、視覚優位者には不利だから、視覚支援や個別級での学習が必要という話は何度も見聞きした。しかし、視覚優位者は全体像を把握して情報を同時処理するスタイルなので一般級での一斉授業ではなく個別指導を、という話は初めて聞いた。目からウロコだった(私が勉強不足で気づかなかっただけかも知れないが )。

 

確かに、自分自身に当てはめると(専門家が判断したわけではないが、私は視覚優位の傾向があると思う。仕事でも口頭で言われたことは頭に入らず、何度も聞き返してうんざりされてしまうことが良くある。)、全体像やそれを行う意味や目的が分からないまま何かをするのは非常に苦痛だ(これは大概みんなそうかも知れないが)。

 

アスペルガーADHDのうちの息子が視覚優位の同時処理タイプだと仮定した場合、理想の個別指導とは、

 

・息子の興味、関心に沿った課題設定

・課題の全体像を示す(視覚的に)

・その課題について学ぶ意味を簡潔に説明(視覚的に)

・視覚に訴える学習方法で学ぶ

・反復練習よりクイズ形式などを中心に

・机にずっと座っていなくてもいい

 

うーん、日本の普通の学校では、たとえ個別支援級に在籍しても、望めない内容なのかも知れない。先ほどのギフテッド教育の本では、日本の学校で問題児扱いされたが、個別支援に理解のあるアメリカンスクールやイギリスの高校では評価されたというケースが紹介されていたが、特別支援教育が制度化されてまだ数年の日本の普通の学校では、特に同調圧力が強く、「みんな一緒」が良しとされる日本では、無理なんじゃないかと感じる。

 

高い効果を期待するなら特別なトレーニングを受けた家庭教師を雇うなり、留学するなり、親が自分で教えた方が良いかも知れないが、日本の小学校でもせっかく個別支援級に在籍しているのだから、ポイントやコツ、エッセンスを取り入れる事ができるかも知れない。

 

まあ取りあえず、小学校低学年の間は学校に慣れること、友達や学校の教職員と過ごすこと、あと最低限の読み書きが出来る様になってくれれば、それでいいやと思っている。いつか高学年、中学生、もし進学すれば高校生、大学生になって複雑な勉強をするときのために、本人の特性に合った学習方法や、進路などが選べるように、準備をしてあげられたらと思う。

 

 

自分の自閉傾向について理解するということ

息子の診断をきっかけに、自分はADHD/ADDなだけではなく、自閉症の特性もあるとわかった。そのことで、今まで悩んで困っていた事に理由がつき、何だ仕方がないんだと吹っ切れたり(まだまだ落ち込むこともありますが)、こうしたら上手くいくかもと対応方法を考えることが出来るようになった。

 

特に改善を実感できるのが、仕事の面だ。今までは、電話ひとつ掛けるときにも、この時間帯だとまだ(相手が)出社したばかりかも知れない、昼休みに出るところかも知れない、食べたばかりでひと息つきたいかも、帰るところかも、と延々悩み、さらに月末や月初だと忙しいに違いないと、電話はおろかメールを送ることにまで躊躇する始末だった。これではいつまでたっても仕事が進まない。

 

また、エクセルで資料を作っていても、細かいところが気になって仕方がなかったり、データを盛り込む時にも、こういうことが考えられるかも知れない、こんな可能性もあるかもと、きりが無くなってしまい、資料が完成したときはタイミングを逃し既に無用になっていたり、なんでこんなに時間をかけるだ、ここまでしなくてもいいのにと、怒られたり呆れられることもしばしばあった。

 

周りの同僚(今思えば定型発達)が、11時50分だというのに平気で売り込みの電話を掛けたり(営業の効果という点ではあまり得策とは言えないが)、月末だというのに相手に「今日中に回答下さい」といったメールを送るのを見て、えーっ、なんでそんなことできるのと、心底信じられなかった。

 

今考えると、私は自閉傾向のため、定型発達の人には気にならない細かいことが見えすぎて、とらわれてしまっていたのだ。今でも見えすぎることに変わりは無いが、それが自閉的な視点、自閉メガネみたいなものを通したものなのか、こだわるメリットのある事なのか(定型発達の人が気づかないが、価値のある事はたくさんある。それが私にとっては新しいアイディアやインスピレーションの源泉だ)、それとも今はスルーした方がいいのかという風に、少し距離を取って考えられるようになった。

 

また逆に、私よりも更に細かい点が見える自閉メガネの持ち主がいるという事もわかった。うちの家族ではおそらく、息子>私>夫、の順でメガネの度数が高い様だ。これを視覚認知ではなく記憶力に置き換えると、夫>息子>私、になる気がする。もしかすると、息子>夫>私、かも知れない。聴覚や触覚などの認知特性にも違いがあるだろう。

 

認知の特性に差があると知ってからは、夫が何年も前の細かいことを持ち出して、私に「なんで覚えてないの、信じられない」と文句を言ってきても、あまり腹が立たなくなった(少しはむっとする)。また、息子の心配症も、認知の特性と何か関連があるのかも知れないと思い、そのうち何とかなるだろうと考えられるようになった。

 

職場でも、おそろしくディテールにこだわり話が微に入り細に入る人や、何年も前に作られた業務の進め方を、まるで昨日ルールが決まったかのように鮮明に記憶していて頑なに変更を拒む人がいたり、朝の挨拶で決して目を合わせない(合わせられない)人がいても、この人はもしかしたら、私よりも強度の高い自閉メガネを掛けているのかも知れないと思い、腹も立たなくなった。

 

業務改善について考える時も、こういった特性をもつ人がいることを頭に置いておかなくてはならない。効率的でスムーズだと思える様なプロセスを作っても、実行する人がなじめなければ、上手くいかないというパターンを何度も目にしてきた。馬を水辺に引っ張っていくことは出来ても、無理に水を飲ませることはできないのだ。

 

業務のプロセスにも、特性に配慮したデザインや、仕掛けがあった方が、おそらく上手くいくと思うのだが、例えば何かを色分けするとか、リマインド機能を組み込もうとすると、そんな事は本人が自分で何とかするべきだ、甘えだ努力不足だと反対する声が必ず出て来るので面倒くさい。今後、発達障害児への教育支援を受けて育った子ども達が成長して社会に出るにつれ、こういった考えがいずれ当たり前の事として確立されていく様な予感がするので、それまでは(少し声もあげながら)地道に何とかしようと思う。

 

仕事で困る事に話を戻すと、時間や日付の感覚が弱いために、優先順位や時間配分、スケジュール、締め切りなどを(自然には)意識できないことがある。これは社会人としてはかなり致命的な弱点だ。徐々に対応方法を編み出しつつあるが、まだまだ改善が必要で、いまだに会議の予定を忘れたり、おっくうだと感じた仕事を先延ばしてしまうことがよくある。それでも1年前、5年前、10年前の自分と比べると格段に進歩して、自分でもパフォーマンスが向上したと思う。スマホの登場にもずいぶん助けられている。

 

失敗しても、努力不足ではなく、特性のカバーの方法を調整すればいいと、考えられるようになった。以前はしょっちゅう、自分には努力する才能がないと真剣に落ち込んでいたが、脳の配線がそうなっているだけで、ちゃんと(「ちゃんと」という言葉はあまり好きではないのだが、他に適当な表現が思い浮かばない)理由と解決策があったのだ。

 

これから少しずつ、私が実行している対応方法について、書き留めてみたいと思う。書くことでまた新たな内省と気付きが得られると思うし、誰かの役に立つかも知れないので。

 

 

イライラの対応策を夢で見た

月曜日に、なぜ息子も自分もこんなにイライラしているのかについて考えるエントリを書いた後、その夜その答えがすっと胸に収まるような夢を見た。何かの啓示のようなヒントを得た様に感じたのだが、そのような印象だけを残して消えてしまった。何かについて、何故なんだろう、理解したい、と強く念じていると、答えを示すような夢を見て、気持ちが軽くなったような気持ちになる事がよくある。本当に、ヒトの脳って面白い。

 

夢の内容は忘れてしまったけれど、取りあえず、息子がイライラしているのは不安や緊張の現れで、自分がイライラしているのは「これはこうなってこうなるべき」なのにそうならない事(べき論へのこだわり)へのフラストレーション、なのではないかと思った。

 

また私にも息子にも共通している事として、「待たされる、時間が掛かる」事が耐えがたいストレスに感じられる、というイライラがある様だ(計算ドリル、書き取りが苦痛、というのも多分これ)。

 

更に、私のイライラは、息子の不安や緊張を増幅させてしまう気がする。すぐそばに何だか怒ってるっぽい人がずっといたら、誰だって緊張する。また息子は不安が強く、私には「些細なこと」と思える事が、息子にとっては大きな壁に感じられる(これも認知の違いなんだと思う)みたいなので、尚更だろう。

 

これらは全て推測でしかないけれど、そうだと仮定すると、こうすれば上手くいくかも知れないという方向がぼんやり見えてくる、ような気がする。

 

まず、私のイライラを抑える。ペアレンティングの講座で、子どもが自分で怒りを抑えて感情をコントロールする方法を習い、私も息子に教えようとしたけれど、上手くいかなかった。息子はまだ小さいし、まず私がやった方が良さそうだ。マインドフルネス瞑想やセルフモニタリングもきっと役に立つ。

 

それから視覚支援。時間が掛かって待たされる、退屈な書き取りがいつまで続くのか分からずうんざりする、という事だとしたら、見通しがつく様にしたら良いかも知れない。また、なぜ単純な計算ドリルを繰り返しやるのか、薄く印刷された文字を何度もなぞるのか、それをすると自分にとってどんな良い事があるのかという事を分かりやすく伝えられたら良いかも知れない(字が上手に書けるとお兄さんっぽく見える、計算が素早く出来るとカッコイイ、とか)。

 

ただ、どこかで、ADHDがある場合は繰り返しコツコツやる勉強より、クイズ形式などでプレッシャーを感じる方がモチベーションが上がる場合があると目にした事がある気がするので、そちらの方向でも動機づけを試してみよう。私も子どもの時そんな感じだったし、今でも締め切り間際になった方が仕事に集中できる。本番に強いという訳ではないが、やらざるを得ない状況下の方が、やる気スイッチが入る(仕事の場合はクオリティが下がるという問題があるが、それはまた別途検討)。

 

それから、切り替えが下手という問題もある。勉強を始めるまでのエンジンがなかなか掛からない。ただし1度始めれば集中出来る場合もあるので(課題の内容による)、取り組みやすい状況(勉強机を用意して、机の上や周りに何も置かない)と、誘い水を用意したら(すぐ宿題を始められるように、プリントと鉛筆を出しておく)、上手くいくかも知れない。環境調整という事だろうか。

 

あとは不安の軽減だけど、これは認知行動療法が有効そうだと聞いたので、相談できる専門家を探してみようと思う。

 

取りあえず、上記を試して上手くいかなかったら、また違う手を考えることにしよう。

 

なんでこんなにイライラするのか

発達障害の子は、待つことが難しいらしい。発達障害のある大人もそうらしい。自分の実感に当てはめても、何となく納得できる。

 

例えば、私はすることがないという状況にたまらなくイライラすることがある。会社を出て、家に帰るまでの間が退屈で、コンビニでお菓子や肉まん、缶ビールなどを買って、食べながら歩く、と言ったことが止められなくなる時が、なぜかよくある。お腹が空いている訳でも、その食べ物が食べたいわけでもなく、退屈だから買い食いをするという、良くない習慣だ。何となく依存性もある気がする。

 

また、信号待ちや、電車、バスを待つ時間も大嫌いだ。電車やバスを待つのが嫌でたまらない(何だか損した気分になる)ので、ぎりぎりに家を出て遅刻する、と言うことが、しょっちゅうある。夫は遅れるのが不安だからと言って早目に家を出て、待ち合わせの場所に約束の時間より1時間近く前に着くこともよくある様だが、その感覚が全くもって理解できない(正確に言うと、最近は何となく、それもまた合理的だと思える様になってきた。年を取ると衝動性が弱まってくると聞いたことがあるが、その影響なんだろうか)。

 

先日のエントリで、子どもの頃に書き取りドリルの反復練習が苦痛でたまらなかったと書いたが、その時の感覚は何かを待っている(待たされている)時のイライラとよく似ている様な気がする。どちらも、脳の中の圧力がどんどん高まり、ぐらぐら沸騰してきて爆発しそうになっているのを、懸命に押さえているような感じになって来たりする。もしかすると、何か同じ脳の特性が関係しているのかも知れない。

 

他にも、会社でやたら長くて要領を得ない話を、我慢して遮らずに聞いている時のイライラとも似ている。「だから何!」と叫びたくなるのをひたすら我慢する感じだろうか。思いつかないけど、まだありそうだ。

 

こういったことを振り返ってみると、どれも根っこに「衝動性」という問題がある様な気がする。私は幸いそう言ったことは無い(と思う)が、ちょっとしたきっかけでカッとなって切れてしまい、発作的に仕事を辞めてしまったり、暴言を吐いて不利な立場に追い込まれる人の例などを、ADHDや大人の発達障害の本でよく見たりする。

 

私と息子のイライラの正体も、もしかするとこの衝動性に関係があるのかも知れない。息子が(何か本人なりの理由があって)イライラしてろくでもない事をすると、私の衝動性に火がついてカッとなってイライラしてしまう。母親がイライラしているから、息子も不安になって、しつこい試し行動に出る。。。もしかして、そんな風にお互いイライラの燃料を補給し合っているのかも知れない。もしそうだとしたら、まず私が怒りを受け流して、悪循環を断つのが手っ取り早い。息子に私の言っている事の正しさを理解させようとか、落ち度を認めさせようとか、そういうことは考えず、スルーするが気持ちには関心を示す、と言う感じが良い気がする。何となく。

 

そう言えば最近読んだ心理学の本に、怒りは二次的な感情で、そのベースには悲しみや不安といった、怒りの元になる感情があると書いてあった。うちの息子はなぜだかとても不安が強い。いつもどうでも良い(と周囲には見える)事を心配しているし、未だに両親とべったりだ。警戒心も強い。

 

もしかして、息子のイライラが強いのは不安の裏返しなのかも知れない。

アスペルガーの息子に勉強させたい

息子の特性や諸々を考えて個別支援級に入れることに決めて、1年経過した。小2に進級したが、親も学校も本人も誰も、一般級へ移動することなど念頭になく、今年も当然に支援級だ。

 

支援級でもまあまあそれなりに学年相当の勉強はしていなくもないし(一応1年生の漢字はだいたい全部覚えたらしい)、何より学校を嫌がらずに毎日登校している。学童渋りはしょっちゅうだが、学校しぶりは夏休み、冬休み明けでも、一度もなかった。自分が不登校をした身なので、息子が不登校になっても、まあ仕方ないかと思っているが、今はまだ低学年なので1人で家で過ごさせる訳にもいかないし、フリースペース等に毎日送迎するのも、正直おっくうだし、費用もかかりそうだ。しばらくは学校に通っていてくれた方がありがたい。

 

1年生の途中から算数などの授業に部分的に参加する「通級」を行う計画だったが、一般級のクラスの子の集団に入るのが怖いらしく、朝の会に時々顔を出すのがやっとだった。まあ、私だって週に1回よその会社の大きな会議に、勝手もわからないまま1人で参加しろと言われたら、嫌だもんなあ。2年生では少し授業に参加できるといいと思うが、やっぱり難しいかも知れない。取りあえず学校には行ってくれているから、多くは望まないようにしよう。

 

本人は6年生まで支援級にいると言っているが、本人の気が変わったり、環境を整えることができたりすれば、一般級に移ることを考えたいと思っている。その時のために、公文式の国語と算数を最近始めてみた。同じ学校の支援級の子も何人か通っており、すんなりスタート出来た、と思ったが、初めだけだった。すぐに宿題や通所を嫌がる様になり、行きたくない、行くなんて言わなければ良かったと言い出した。

 

宿題を家でやらせようと、終わったらタブレットで30分ゲームをしていい、宿題1日分が終わったらシール1枚、x枚たまったらxxを買う、などいろいろ考えたが、なかなか難しい。

 

ある時、家で宿題をするように言ったが全くやろうとしないので、お母さんも勉強すると言って、テーブルで中国語のテキストを開いて隣に座ってみた。それでも渋々ではあったが、何とか取りかかる姿勢になったので、算数からやらせることにした。

 

初めは全部のプリントを机の上に置いていたが、たくさんあると言ってげんなりしていたので、1枚だけテーブルに残し、あとは見えない場所に引っ込めた。終わった分はテーブルの上に重ねて置いておき、また次の1枚を取り出して続けさせた。すると今度は、終わってもまだあると文句を言い出したので、「あとx枚だよ」と声を掛けるようにした(声かけではなく、残り枚数が視覚的に分かるようにした方が良かったかも知れない。次はそうしよう)。そうして算数は何とか終わらせることが出来た。ただ公文のプリントを10枚弱やらせるだけで、何でこんなにうんざりしないといけないんだろう。

 

後は国語の書き取りと音読がある。まず音読をさせようと思ったが、黙読で済ませようとするので指摘すると、お母さんだって(中国語のテキストを)読んでないと文句を言う。それではと私も声に出してテキストを読んでみたら、息子もおとなしく自分のプリントを音読し始めた。取りあえず効果があったので、次もこの手を使ってみよう。

 

息子と一緒に公文のプリントをやっていて、自分も昔、書き取りや比較的易しい計算ドリルが大嫌いだったことを思い出した。ものすごくイライラして苦痛だった。書き取りはいつも乱雑に書き殴ってさっさと終わりにしていた記憶がある。中学の時の書写のテキストを、なぞるために印刷してある手本の薄い文字を丸無視してかなりキタナク終わらせ、担当だった教頭先生に唖然とされた事を思い出した。

 

ちょうど自分が、少しややこしい仕事があるとうんざりして先延ばしにしてしまうことや、信号や電車などちょっとした待ち時間に耐え難いイライラを感じる場面を思い出した。おそらく息子も私たちと同じように、書き取りや単純なドリルがたまらなくストレスに感じられるのかも知れない。

 

もし息子の公文のプリントに対する感覚が私と同じなら、逆に私が自分に有効だと思っているやる気スイッチも、効果があるのかも知れない。プレッシャー(締め切り、チカラのある人からの叱責、クイズ形式など)、適度な難易度、気が散る物の排除、とかかなあ。

 

取りあえず、私が息子を公文に通わせる目的は、算数や国語が、一般級でもそこそこ困らない程度に出来るようになることで、決められた分量の宿題を、毎日キレイに全部こなすことではないのだから(自律的にそうしてくれれば何よりだが)、公文のシステムを通じて、息子のやる気スイッチの入れ方を、少し探ってみよう。そしてそれは多分、自分の仕事のパフォーマンス向上にも使えるかも知れない。何となくそんな気がする。

自閉症の診断

先日読んだ「ハイパーワールド 共感しあう自閉症アバターたち(著:池上英子)」という本は、とても面白かった。本屋の店頭で目にして、何となくアンテナが反応して即買した本だ。内容は主に、正直、まだ運営されてたんだと思ってしまった「セカンドライフ」内で活動している自閉症者との会話などについて書かれている。登場してくる人たちはアメリカやイギリスからログインしている人が多いらしく、自閉症についての意識や考え方も「進んでいる」ように思えた。面白そうだから私もセカンドライフアバターを作ってみようとタブレットからアクセスしてみたが、どうもPCから接続する必要がある様で、とりあえず断念した。アプリとかあったらいいのになあ。

 

何点も興味深い情報や考え方についての記述があったが、最もなるほどと思ったのは「ニューロダイバーシティ」という概念だ。自閉症は脳神経回路の多様性に過ぎない、といった考え方で、よく「自閉症は個性だ」とする意見に相当すると思う。今年の4月からセサミストリート自閉症のジュリアという女の子のキャラクターが登場しているそうで、自閉症児の保護者からの要望で5年前から準備がすすめられていたというが、やはりアメリカは多様性やマイノリティについての考え方が進んでいるんだなあと感じる。

 

私も常々、自閉症発達障害というのは、左利きの人のようなものではないかと思っていた。世の中には普通に生れつき左利きの人が存在して、右利き中心に組み立てられている社会の中で不便を感じながらも、もし身近に「私は左利きなんですよ」と言う人がいれば、単に「ああ、そうなんですか」といった、別に何でもない反応を返すだけのことで(私は左利きではないので、当事者の人たちが心の底でそれをどう思うかまでは分からないのですが)、一昔前のように「徹底的な矯正が必要なのではないか」などとは考えない(考える人もいるのかも知れませんが)。そういうものだと考えていた。なので、ニューロダイバーシティという言葉を聞いて、すとんと腑に落ちる感じがした。

 

ここまで考えて気になるのは、自分は自閉症なんだろうかという点だ。発達障害としては去年やっとADHD/ADDという診断名をもらえたが、アスぺルガーや自閉症スペクトラムとは診断されていない。自分の成育歴や家族(私の父や父の家系は、どう考えても高機能自閉症だ)のことを考えたり、子どものころから何度も繰り返している人間関係の失敗の内容を考えると、グレー度はそれほど濃くはないかも知れないが、おそらくアスぺルガー症候群なのではないかと思う。自分のことを考えるときに、長年「どうして私はいつもこうなんだろう」と思い悩んで落ち込んでいたことが、「なんだ、自閉症スペクトラムだったからなのか」ということですんなり説明がつくことが多々ある。でもそれと同時に、「私は本当に自閉症スペクトラムなんだろうか」と いう不安もあり、やっぱりなんだか落ち着かない。

 

前掲の本、「ハイパーワールド」の中で自閉症当事者として登場する人たちの中にも、大人になってから自閉症スペクトラム的な特性に気づき、子どものころなら医者に連れていかれて診断を受けて、早期療育などの支援の対象となっていたかも知れないが、成人して(生きづらさを抱えながらも)社会生活を送っており、今さら診断を受けても大勢に影響はない、といった状況の人がいた。

 

まあ、診断を受けたから何が変わるというものでも無いとは思うけど、やっぱり何となく、診断名をつけてもらってすっきりしたいという気持がぬぐえない。