sabakubakubakuの日記

発達障害児を育てる発達障害ワーキングマザーの日記

評価されたい、認められたいんだなあ

本業とは関係ないのに、心理学や脳科学などについていろいろ自分なりに勉強を続けているのは、自分の癒やしのため、息子の療育のため、職場の人間関係改善のため、好奇心の探究など、いろいろと目的や理由がある。でも、もしかすると、最大の動機は、「頑張っているね」、「すごいね、よく勉強してるね」などと、周りの人から思われたい、認められたいという事なのかも知れないと、時々思う。

 

私は中学校の途中から不登校になって、高校には行かず、大学にも皆と同じ年代の時には行かなかった。中学校の時、瞬間的に成績が非常に良かったので、家族も先生も、地域で1番良いとされる高校に進学して、どこでも好きな大学に行くと思っていた(後から知った)。だから、不登校後に一応卒業ということになって、高校に進学できず、1年待って地域でかなり評判の芳しくない学校に行くことになった時は、皆が残念がった。私は無理をして何とも思っていない様な態度を取っていたが、今思えば相当自分の感情を抑圧していたということに、気がついた(そういう感情を持っていたことを受け入れる気持ちに、やっとなることが出来た)。

 

たぶんその頃からずっと、自分の能力はこんなものじゃない、もっと実力がある、やる気を出して頑張りさえすれば、といった感情を、自分の内側に抱えて来たんだろうなあと、改めて思う(ちなみに、やる気を出して頑張ることが自分には難しいとは気づいていたけれど、それが努力不足ではなく、発達障害から来る脳のクセという事には、当然思い至らなかった。自分はナマケモノだと思ってずいぶん落ち込んだけど、今考えるとこれもトラウマだったんだなあ)。

 

そんな感情をはね除けたくて、いろいろ勉強したり、仕事を頑張ったりして来れたのかも知れない。アドラー心理学の本に、劣等コンプレックスを感じ、そこから脱しようとして努力するのは健康な心のはたらきといった事が書いてあった気がするけど、きっとそういう感じだ。認められたい病はみっともないと思って必死で抑圧していたけど、普通の感情だったという事かな。

 

私の中に、私を見て、ほめて、認めてと、いつも黙ってアピール(でもカッコワルイので声は出さない)している自分がいると思っていたけど、やっぱりいたんだな。心の森の中で、癒やしを求めて気づかれるのを待っているインナーチャイルドを、また一人見つけ出せたかな。