sabakubakubakuの日記

発達障害児を育てる発達障害ワーキングマザーの日記

自分の自閉傾向について理解するということ

息子の診断をきっかけに、自分はADHD/ADDなだけではなく、自閉症の特性もあるとわかった。そのことで、今まで悩んで困っていた事に理由がつき、何だ仕方がないんだと吹っ切れたり(まだまだ落ち込むこともありますが)、こうしたら上手くいくかもと対応方法を考えることが出来るようになった。

 

特に改善を実感できるのが、仕事の面だ。今までは、電話ひとつ掛けるときにも、この時間帯だとまだ(相手が)出社したばかりかも知れない、昼休みに出るところかも知れない、食べたばかりでひと息つきたいかも、帰るところかも、と延々悩み、さらに月末や月初だと忙しいに違いないと、電話はおろかメールを送ることにまで躊躇する始末だった。これではいつまでたっても仕事が進まない。

 

また、エクセルで資料を作っていても、細かいところが気になって仕方がなかったり、データを盛り込む時にも、こういうことが考えられるかも知れない、こんな可能性もあるかもと、きりが無くなってしまい、資料が完成したときはタイミングを逃し既に無用になっていたり、なんでこんなに時間をかけるだ、ここまでしなくてもいいのにと、怒られたり呆れられることもしばしばあった。

 

周りの同僚(今思えば定型発達)が、11時50分だというのに平気で売り込みの電話を掛けたり(営業の効果という点ではあまり得策とは言えないが)、月末だというのに相手に「今日中に回答下さい」といったメールを送るのを見て、えーっ、なんでそんなことできるのと、心底信じられなかった。

 

今考えると、私は自閉傾向のため、定型発達の人には気にならない細かいことが見えすぎて、とらわれてしまっていたのだ。今でも見えすぎることに変わりは無いが、それが自閉的な視点、自閉メガネみたいなものを通したものなのか、こだわるメリットのある事なのか(定型発達の人が気づかないが、価値のある事はたくさんある。それが私にとっては新しいアイディアやインスピレーションの源泉だ)、それとも今はスルーした方がいいのかという風に、少し距離を取って考えられるようになった。

 

また逆に、私よりも更に細かい点が見える自閉メガネの持ち主がいるという事もわかった。うちの家族ではおそらく、息子>私>夫、の順でメガネの度数が高い様だ。これを視覚認知ではなく記憶力に置き換えると、夫>息子>私、になる気がする。もしかすると、息子>夫>私、かも知れない。聴覚や触覚などの認知特性にも違いがあるだろう。

 

認知の特性に差があると知ってからは、夫が何年も前の細かいことを持ち出して、私に「なんで覚えてないの、信じられない」と文句を言ってきても、あまり腹が立たなくなった(少しはむっとする)。また、息子の心配症も、認知の特性と何か関連があるのかも知れないと思い、そのうち何とかなるだろうと考えられるようになった。

 

職場でも、おそろしくディテールにこだわり話が微に入り細に入る人や、何年も前に作られた業務の進め方を、まるで昨日ルールが決まったかのように鮮明に記憶していて頑なに変更を拒む人がいたり、朝の挨拶で決して目を合わせない(合わせられない)人がいても、この人はもしかしたら、私よりも強度の高い自閉メガネを掛けているのかも知れないと思い、腹も立たなくなった。

 

業務改善について考える時も、こういった特性をもつ人がいることを頭に置いておかなくてはならない。効率的でスムーズだと思える様なプロセスを作っても、実行する人がなじめなければ、上手くいかないというパターンを何度も目にしてきた。馬を水辺に引っ張っていくことは出来ても、無理に水を飲ませることはできないのだ。

 

業務のプロセスにも、特性に配慮したデザインや、仕掛けがあった方が、おそらく上手くいくと思うのだが、例えば何かを色分けするとか、リマインド機能を組み込もうとすると、そんな事は本人が自分で何とかするべきだ、甘えだ努力不足だと反対する声が必ず出て来るので面倒くさい。今後、発達障害児への教育支援を受けて育った子ども達が成長して社会に出るにつれ、こういった考えがいずれ当たり前の事として確立されていく様な予感がするので、それまでは(少し声もあげながら)地道に何とかしようと思う。

 

仕事で困る事に話を戻すと、時間や日付の感覚が弱いために、優先順位や時間配分、スケジュール、締め切りなどを(自然には)意識できないことがある。これは社会人としてはかなり致命的な弱点だ。徐々に対応方法を編み出しつつあるが、まだまだ改善が必要で、いまだに会議の予定を忘れたり、おっくうだと感じた仕事を先延ばしてしまうことがよくある。それでも1年前、5年前、10年前の自分と比べると格段に進歩して、自分でもパフォーマンスが向上したと思う。スマホの登場にもずいぶん助けられている。

 

失敗しても、努力不足ではなく、特性のカバーの方法を調整すればいいと、考えられるようになった。以前はしょっちゅう、自分には努力する才能がないと真剣に落ち込んでいたが、脳の配線がそうなっているだけで、ちゃんと(「ちゃんと」という言葉はあまり好きではないのだが、他に適当な表現が思い浮かばない)理由と解決策があったのだ。

 

これから少しずつ、私が実行している対応方法について、書き留めてみたいと思う。書くことでまた新たな内省と気付きが得られると思うし、誰かの役に立つかも知れないので。