sabakubakubakuの日記

発達障害児を育てる発達障害ワーキングマザーの日記

罪悪感だったのか

どうも落ち込んで元気が出ない、ウツ気味だと思い、ちょっと気になっていた、「自分で心を手当てする方法(ガイ・ウィンチ著)」という本を買ってきた。書店で平積みになっているので、少し待ってAmazonマーケットプレイスで買おうと思っていた本だが、日曜の夕方にわざわざ駅前の本屋まで出かけてきました。果たしてその甲斐はあったと思います。

 

原題が「Emotional First Aid」となっており、ちょっと心が傷ついたけど、心療内科やセラピーに行くほどでもないといった時に、自分で癒やしというか気づきを得るためのヒントやアクションについて具体的に書かれている。テーマは拒絶体験、トラウマ、喪失、自己肯定感の低下などいくつかあったので、気になるトピックから読み始めてみた。どの章からも成る程と思える納得感が得られましたが、何となく1番後回しにして読んだ、「罪悪感」というテーマが今の落ち込みに最もフィットする感じがして、すとんと腑に落ちました。

 

罪悪感で心に深刻なダメージを受けるとか、セラピーが必要になったりするという発想を、今まで持ったことはありませんでした。でも考えてみれば、つい先日のエントリ(5月27日付け)で書いた、疲れの原因は大半が罪悪感かも知れない。夫の義母のケアをまともにしていない罪悪感、家の片づけを息子に教えることができていない罪悪感(散らかっていること自体はあまり気に病んでいないのですが)、口内炎がしょっちゅう出来てしまう様な食事ばかり息子に与えている罪悪感、仕事を辞めて発達障害の息子の療育や勉強、習い事に100%自分の時間を投入していない罪悪感、息子の学童のお迎えのために同僚を後にして退社する罪悪感、特性持ちのため学童関係の方々にスケジュール連絡や提出物を忘れて迷惑をかけている罪悪感、高齢になってきた実母に息子のお迎えや留守番を頼んでいる罪悪感、やろうと思って挫折している資格試験の罪悪感、などなど、本当にいくらでもある。一日中罪悪感にまみれて生活している様だ。

 

さらに、一緒に暮らしていて同じ境遇にいるはずの夫がこれらの事にほとんど全く悩んでいない様に見えるところに非常に腹が立つし、腹を立ててしまう自分に心が狭くて意地悪だとまた罪悪感を感じてしまう。

 

そう言えば私は何故だかもともと、何か悪いことが起きると大概の事は自分が悪いと自動的に思う傾向がある事を思い出した。逆に良い事があった時は決して自分が原因ではないと思ってしまう。あるいはそう思わなくてはいけないと、自分を抑圧しているのかも知れない。これはもしかすると、インナーチャイルドワークが必要な領域かも。自己肯定感や認知に歪みがある様な気がする。

 

自責傾向と言えば、もう何年も前のことだが、コミュニケーションスキルを改善しようと、飛び込み営業のアルバイトをしてみたことがある。一応事前に電話でアポを取ったりする事もあったのだが、電話をした相手に迷惑そうな態度を取られると、ちょうど良いタイミングで電話をかけなかった自分が悪い、話す内容を上手に整理しておかなかった自分が悪い等、とりあえず自分が悪いと結論付けていた。

 

そんな中、同僚の内に、相手に電話を切られてしまっても、「せっかく良い話しがあって電話したのに、話を聞かずに電話を切るとは何とアホな客だ(電話をかけた自分は1ミリも悪くない)」と考える人がいて、心底驚いた記憶がある。えーっ、そんな風に考えるのアリなんだと本当にびっくりと言うか、ギョッとしました。そしてそう割り切って考えている同僚の方が、ぐるぐるいろいろ考えて反省に反省を重ねている(と自分では思っていた)私よりも、営業成績が良かったのだ。案外、うちのだんなもそう言うタイプなのかも知れない。

 

冒頭に記載した本のおかげで、ここしばらく、多分息子の自閉症スペクトラムの診断や小学校の支援級入学以来、ずっと抱えてきたどんより感に、「罪悪感」という名前を付ける事が出来た。そして具体的にどんな場面に罪悪感を持ってしまうのかという事を思い返してみることで、それは本当に自分が悪いのか(同居の義母のケア不足は私のせいなのか)、本当にそうしなくてはならないのか(発達障害の息子がいるのに仕事を続けていていいのか(実際、辞めるべきとか言ってくる人がいるのです))、他に代替手段はないのか(実母以外にサポートを頼む方法はないか)、といった気づきと言うか、リフレーミングが起きた感じがする。気分が落ち込んでいた原因や背景に思いが至っただけで、問題が解消されていなくてもだいぶ心が楽になった。

 

気持ちはラクになったけど、でもやっぱり薬はもらいに行こう。口が渇いてイヤだけど、ストラテラもまた飲んでおこうかな。